実家に・・・福岡に戻って来た。
旅の終わり。
来年だけは、年賀状を自分で作ってみようと。
ゴチャゴチャ。
スキルが乏しい中、自分の印象に残っている写真を貼り合わせてみた。
限りあるスペースに、使いたい写真がいっぱいだから、選びながら。
ものすごく主観的に好きな写真や思い出の強く残っている写真をば・・・。
誰に送るんだろう?
頂いた方々に・・・。
旅から戻って来て・・・。
惨めな生活を送っているな。
周りの人達からそういう風にどれだけ思われようと、構わないと思った。
誰の時間でもない。
僕自身の時間だから。
そして、僕自身が自ら歩む道だから。
もちろん、旅をすること自体に対しては不安がなかった訳ではない。
命を奪われるかもしれない。
手足を失うかもしれない。
騙されるかもしれない。
全てを失くすかもしれない。
でもそれらは、あくまで、可能性と確率のお話。
時間は進む。
息をして、現実世界に生きている。
「安全な」日本でだって死にうる。
あるいは、手足を失いうる。
で、あれば、心震えワクワクする道を選びたい。
人生が一度きりのものなのか、二度、三度あるものなのかは分からない。
まだ死を迎えてみたことがないから。
ただ、旅をしたということは、結局、不安よりも希望の方がかなり大きかった、ということなんだと思う。
〇〇歳だから・・・。
仕事を辞めることが「できない」から・・・。
再就職が難しいかもしれないから・・・。
簡単に自分自身を誤魔化せる、魔法の言葉。
言い訳。
もう少し若かったら・・・。
就職する前だったら・・・。
あの時に戻れさえすれば・・・。
「たられば」のお話。
ドラえもんがタイムマシンを用意してくれさえすれば、その「たられば」は叶うのかもしれない。
でも、ドラえもんがいる訳でもない。
だから、過去に戻ることは恐らくできない。
広がっている未知なる世界。
テレビや人づてに見聞きするだけの「世界」。
ただただ純粋に、命あるうちに、一度見てみたい。触れてみたい。体験してみたい。
食べたことのないものを食べてみたい。
観たことのない人類の遺産を観てみたい。
育った境遇や培ってきた価値観の差異が大きな人々に出会ってみたい。
他の人からしたら、全く興味をそそられないことなのかもしれない。
でも、僕にしてみたらそれはすごく大切なことだったんだと思う。
そして、それだけ「僕」自身が求めていたから。
定年を迎え、いわゆる「老後」の時間を使い旅をしている人達に出会った。
彼らが口を揃えて言う。
若いうちに旅をしたかった、と。
体力的に長期の旅はできづらい・・・。
高齢になってする旅には限界がある・・・。
若いうちに見て人生の糧にしたかった・・・。
そんなことを口々に言う彼ら。
そして、僕のような年代で旅をしていることに対して、羨ましいと。
若くして・・・、就職する前の大学生の休みに旅をしている人もいる。
極々個人的に、日本の社会で働いて・・・異なるタイプの会社で働いた上で、海外を見て周れたというのは、良かったと思う。
これまでの経験を通しての比較や、比較を通して自分に合うであろうもの、自分がこうありたいと思うようなものがぼんやりとでも見えてきたから。
いずれにしろ、こんなに充実した日々を経験することができた。
そして、だからこそ、これから「惨めな」生活をして生きていく訳にはいかなくなった。
もっと楽しんでやるんだい。
旅でどこに行ったのかは、僕の思い出としては重要であったとしても、僕の人生における意味としては対して重要ではないんだろうと思う。
僕の人生においてこの旅が持つ意味は、何を見て、どういう人と出会って、どういう経験をしたかに尽きるんじゃないかと思う。
この旅を通して何を得たのか・・・分からない。
分かるけれど、分からない。
僕の中に変化があることだけは、紛れもない事実なんだと思うけれど。
これからは、次世代のために何事かを成す!、なんてカッコいいことを言える立場とは程遠い。
だけど、困っている誰かを少しでも助けてあげることはできるだろうし、困っている観光客の人がいたら我が身になって手を差し伸べられるだろう。
旅をする前よりも、そういうことに対して、ある種の抵抗感のようなものは少なくなっている。
そういう小さいことからでも、誰かの役に立ち、自分の生を全うしていきたい。
もちろん、誰かの役に立つことも大事だし、自分の大切なものを守っていくことも大事だし。
徒手空拳。
旅立つ前も、今も先立つものを持っていない、新たなスタートライン。
失うものは何もないなんて、旅立つ前に言っていた僕。
でも・・・あった。
それは、僕の命であり、僕の身体であり、僕の心であって。
そして、それは・・・僕のこれからの人生であり、僕が生きることによって例え微々たることかもしれないけど、誰かの心を満たせる可能性があるということであって。
未来。
そして、その未来が持つ可能性。
過ぎ去った過去は変えられない。
ただ、過去に対する自分なりの意味づけを変えることはできる。
宇宙の生命からすると塵ほども無い、僕の残り僅か数十年の命。
世界の「すべて」を観て感じた訳ではないけれども。
僕にとって、世界の国々は最高の遊び場であり、最高の学びの場だったと思う。
自分の少ないお金や限りある時間を、こんなにも充実したことに使うことができた僕は本当に本当に、しあわせ。
日本人として生まれたことに感謝すると共に、世界に生きる人々が思想や宗教、性別や信条、出生場所に関わらず、望み叶えようとするのであれば、それが実現できる世界になっていくことを心から願う。
旅する中で、助けてもらった皆々さん。
本当に、本当にありがとう。
このつたないブログは僕の思ひ出の塊。
またふとした時に読み返してみたい。
「豊かな」そして、「平和な」日本に戻ってきた。。
だけれども。
ある意味においては、旅を続けている友人達がうらやましい。
あんなに刺激的な日々を送っていられるんだから。
たとえ、危ない国であっても、良い出会いがある。
日本にいたんじゃできないような面白い体験ができる。
そして、まだ食べぬ美味しい食べ物達に舌鼓を打てることもある。
旅は良い。
でも、他にもやってみたいと思えることがある。
命あるうちに。
今を活きよう。
またいつの日にか旅をできる日を夢見ながら。
今年もあと2日。
良いお年を。
いきようっと。