4月15日(月)

ケニア 2日目
ナイロビ 2日目
※今日の日記は長文です

今日は早川千晶さん主催の、キベラスラムとそこの子供達のための学校、マゴソスクールの見学ツアーに参加ニコニコ
今回の参加費用は5人参加で8000円。

以前、日本で早川さん主催のイベントに参加したことがある。ナイロビに行く際は是非マゴソスクールの見学に行きたいと思っていたので、早川さんに連絡をしてツアーが実現したニコニコ

朝の8時半にprestige plazaで待ち合わせ。私達以外に3人の参加者がおり、簡単な自己紹介。
同じく旅人のアキさん
はじめての海外旅行中のグッチさん
3ヶ月ケニアに住んでいるミナミさん


まず早川さんがアフリカの過去とキベラスラムの成り立ちについて話して下さるキラキラ


アフリカは人類の生まれた場所。
かつてのアフリカは広大な自然の中で人間は格差もなく平等。人間が自然を支配してはいけないと考えていた。
ケニアの場所には42民族が暮らしていた。

しかし、大航海時代を経て、1884年のベルリン会議によってヨーロッパ人がアフリカを植民地として切り分け、アフリカがヨーロッパの人のものになってしまったガーン

ヨーロッパの没落貴族達がアフリカへ移民して支配することになり、アフリカ人は土地を奪われ、税金も取られる。
話し合いや、歌で訴えても、殺されてしまう事が続いた。平和に暮らしていたアフリカの人達には戦う術がなかったショボーン

ケニアはイギリスに支配されることとなり、白人、黒人居住区と分けられる。

第一次大戦の時に連れてこられたスーダンなどの戦士たちが戻る場所もなく、住み始めたのがキベラスラムのはじまり。
キベラスラムは白人居住区の一部だったが、人数を増やす事で対抗した。

1963年にケニア独立。
全ての人種が協力して生きていく国へ。
白人の持つ広大な土地はそのままとなり、アフリカ人は貧しい生活のままに。

今ではキベラスラムは、違法居住区でありながら、アフリカ最大のスラム街。

ナイロビは200個のスラム街があり、人口の半分の人がスラムに住んでいる。
スラムは「ここなら生きていける‼️」という希望をもってみんなが地方からやってくる場所。
夢や希望を持った人達の暮らす場所キラキラ


さて、スラム街へ向かう。
まず、校長先生のダン先生と護衛の方と待ち合わせをして、スラムを歩く。



水道がないので水が貴重

ケニア発の話題のシステム。携帯ひとつでやりとりできる電子マネー、エムポサ。
これで地方に送金する。

マンダジという揚げパン

めっちゃ美味しかった!!

地方出身のマンダジ屋さん。成功の秘訣は、売り上げの一部を必ず貧しい人に分け与えることウインク

電気が通るようになったが、そのせいで火事での死者も増えた。

道を作るために立退きがあった場所。
発展も大切だが、住む場所を追われた人は大変だ。
東京ドーム50個分のスラム街
みなさんで。

タイヤサンダルを販売するおっちゃん
トイレ



マゴソスクールの入口。

入ると、、、
そこは子供達の笑顔であふれていて、天国のようだったびっくり



キラキラしているお願い

マゴソスクールは早川さんの友達のリリアンさんが始めた学校で、早川さんが金銭面のサポートをしている。
通いの子供はなんと、500人‼️びっくり
住んでいる子供は50人。
職員40人。

とても大きな学校だ。

着くと、まずみんなが歓迎の歌を披露してくれた。


次に私たちの自己紹介。
行った41カ国をみんなで数えて、41個分のピラウという食べ物を作って渡してくれた爆笑
可愛すぎる。

その後子供達のめちゃキュートな出し物があり。

みんなで踊った照れ
振付も教えてもらいつつ。



お礼に私達からは「幸せなら手を叩こう」を歌う🎵


ランチは子供のお母さん達が作ってくれたご馳走。
ケニアではシマではなく、ウガリと呼ぶ。
ここのウガリは美味しく頂けたもぐもぐ

ステキな民芸品の販売もあったので、ポーチを購入キラキラ


午後はいろんなプランがあったが、家庭訪問&病院訪問をチョイス。

1軒目はロイスばーちゃん。


14歳の時にキベラに来て、大体40年くらい住んでいる。家賃は2500シリング。

蓄のう症が辛かったり、エイズだったり、八百屋の商売がうまく行かなかったり、娘が子供3人置いて行ったり、知らない人が子供置いて行ったり、、、
お金がないのに、沢山の子供の面倒をみなきゃいけなくて大変そうだが、、、

とにかく、めちゃくちゃお喋りで明るいキラキラニコニコ
「大変なのよーあっはっはー!」という感じのマシンガントークびっくり

家は土壁で虫が住み着いていたり、片付けが苦手なようで、衛生環境は悪い。
でも、本当に力強く生きているキラキラキラキラ

キベラは好きだけど、治安が悪くて困っているようだ。
子供達がマゴソスクールに行けていることが嬉しそうだった照れ


2軒目はママニーラ(ニーラのママと呼ばれている)

16歳の時に旦那についてキベラに来た。32歳で子供は4人。大きい子は高校生。

旦那さんは日雇いだが、田舎に帰って3ヶ月帰ってこないらしいガーン
野菜を売って頑張っているが、小卒なので他に仕事がなく、子供の学費が払えなくて困っていた。

旦那のこととかもあり、悩みが多そうな感じ。何とか子供には高校に行って欲しいという気持ちが強かった。
子供は生きる希望なんだなぁ


最後に、元軍隊の看護師さんが経営しているクリニックへ。

医師はおらず、看護師の彼女が出来る範囲の治療を行う。

ケニアは毎月500シリングの保険料を払えば無料で診察してもらえるようだが、、、
保険料を払える人はあまりおらず、中々クリニックにこれる人がいないアセアセ

彼女は初め、この場所は人が多いから儲かると思ってこのクリニックを開設したが、実際は貧しくて病院にお金を払えない人ばかりだったよう。

強盗にあったり、苦労は多かったが、ここにクリニックを作って良かったと言っていた照れ


病院を後にして、集合場所へ戻る。

スラムの貧困の問題は複雑で、どのようにアプローチするのが良いのかも難しいが、とにかく学校の子供達は楽しそうに生活していた爆笑

スラムの人々も貧しいながらも、前向きに、周りの人を助けながら、力強く生きていたキラキラ

日本にいると自分のことでいっぱいなりがちだが、もっと助け合いながら生きていかないといけない。と教えられたニコニコ

早川さん、ダン校長、有難うございました❗️