まだまだあったので、続きます。



⑦宗教的な芸術を受け入れられるようになった

学会員が寺社仏閣を嫌うのは、よく知られていると思います。


その他にも、他宗教は、NGです。





私は、音楽の授業で、グレゴリオ聖歌を聴いて感動してしまい、自責の念に駆られて吐きました。


母が嬉しそうだったのが、とても記憶に残っています。




また、ケルト十字が美しいと思っていましたが、十字架を持つことは許されませんでした。




修学旅行の京都・奈良では、圧倒されるような建築や美術品を間近に見れました。


でも、心に、強い罪悪感がありました。





芸術とされる、音楽も絵画も建築も、宗教色がないものは希少だと思います。


そういったものを、心から楽しめるようになった。


アヴェ・マリアを聴きながら、西遊記読んでもいいわけです。




まさに、天国!










⑧好きな本が読める

これは、時間ができたことにも起因しますが、敢えて別枠で書きます。



私は、読書が好きなほうなんですが、学会員だと読めないことが多くありました。



・読経や会合に時間を取られ、読む時間がない


・集中して読んでいるのに、読経タイムになって中断せざるを得ない


・池田氏の言うこと以外を信じるのに抵抗があり、自己啓発系が読めない


・「読むなら名作」という、周囲からの圧力

  (「走れメロス」、「レ・ミゼラブル」は合格)




私としては、特に、自己啓発系が読めるようになったのが、大きいです。


哲学とか心理学とか、なんで読んでこなかったのかと、悔やまれます。











⑨綺麗な石を「綺麗」と言える

パワーストーンのことです。


高校生の時、雑誌の裏に載っていたラピスラズリに、一目惚れしました。


濃紺に、金粉が散っているなんて、美しいですよね。



しかし、そこには「願いが叶う!!」の字が……




母が、購入に大反対。


高校生にとって安い買い物ではないですし、断念しました。




それから、私はただの綺麗な石を、褒めることができなくなりました。


願いが叶うも叶わないも、意味があってもなくても、ただ綺麗なだけで、価値があるはずなのに。




今は、友達がくれた「ジャスパー」というパワーストーンを、大切にしています


私の、誕生日の石なのだそうです。


366種類から、その石だということを調べ、購入し、ブレスレットに加工してくれた親切を、素直に喜べる。


そんな自分が好きで、幸せです。










⑩決断力がついた

「創価学会は、神頼みではない」と、言われますがそうでもない。



創価学会は、神社参拝などを、バカにします。


お賽銭投げて、「この願いを叶えてください」と祈る、他力本願だと。




学会員は、日々御本尊に「〇〇ができる自分になります」とか、「この使命(今の悩み)をやり遂げます」とか、「必ず試験に合格します」等と祈ります。


一見、確かに自分主体ですね。





でもね、それを「毎日続けないと叶わない」っていう頭があるんです。


そうなったら同じだと、私は思います。





長時間「私はこうしたい、こうします、こうさせて下さい」と、悶々とするのか?


それとも、1回だけ「こうして下さい」と言って、スッキリするのか?


精神的負担が少ないのは、後者だと思います。


つまり、神社参拝などです。





私は「祈る」という習慣を手放したことで、頭の切り替えが良くなりました


祈らなくても、行動はできるし、やり直しが効かないことなんて少ない。


やりながら考えてもいいし、やった後に考えてもいい。


最後まで何も考えなくても、意外とどうにかなってる。



そうすることで、できる範囲が広がり、世界が広がりました






でも、寺社仏閣に行った時は、ここぞとばかりにお願いしてきます。


だって、せっかく行ったんだし、ダメ元という言葉もあるし。


「祈ること」を楽しみに行くところだと思うので、楽しんでいます。













とりあえず、ここまで。

まだ出てきそうな気配があります……