①時間ができた
ダントツ、これ。
私の40年間の学会員生活で、勤行・唱題(読経)にかけた時間を計算してみたんです。
低めに見積もって、3年半!!!
低めですよ、低め。
長すぎやしませんか?
やめる直前の数年は、勤行10分+唱題1時間(日毎)やってました。
それが無くなれば、そりゃあ時間が生まれます。
あと、会合も、面倒でした。
毎月2回くらい、19時~20時半あたりを取られるんです。
一番、予定が入る時間帯じゃないですか?
これが無くなっただけで、交友関係が広がったし、気持ちもラクになりました。
他にも、幹部の突撃訪問で、友達との電話を切らなきゃいけなかったこともありました。
本当に、人付き合いの、邪魔だったなぁと思います。
②心にゆとりができた
時間ができたこともあり、気持ちにもゆとりが生まれました。
学会員の生活の中心は読経なので、読経に当てる時間を捻出するのに、苦労していました。
食べ物をインスタントにしたり、入浴時間を短くしたり、寝る時間を削ったり…
どれだけ友達と楽しい時間を過ごしていても、帰宅後に読経しなきゃいけないと思うと、気が重くて重くて…
あと、大好きなアーティストのライブと、大きな会合が被った時は、本当に泣きました。
今は、自分に必要な順番を、自分で決められるので、自由を感じます。
なんでも楽しめることが、本当に快感です。
③自分を責めなくなった
学会の教えは、因果律です。
原因があるから、結果がある。
その考えは、長いこと私を苦しめました。
何があっても、自分が悪い。
テストのケアレスミスは、私が前日に唱題を怠ったから。
今日、捻挫をしたのは、もしかしたら謗法を侵していたのかもしれない。
(謗法を侵す=他の宗教を信じる)
セクハラに遭うのは、過去世で悪いことをしたから。
あともう1回でも、題目(お経)を唱えていたら、こんなことにはならなかったに違いない…!!
立派な強迫観念ですが、これがデフォ。
この考えのせいで、私は悩みを人に相談できない性格でした。
だって自分のせいだもん。
祈り(読経)で乗り越えないと。
学会員全員が、こういう性格だとは言いません。
が、ウチは母は、そうだったかなぁ…
たぶん、そういう英才教育受けちゃったかな、と思います。
「嫌われる勇気」っていう本、ベストセラーになりましたよね。アドラー心理学をベースにした小説。
それを読んで、世界がひっくり返りました。
そうだよ、そもそも過去なんて変えられないじゃん? ずっと原因に縛られて生きるの?…と。
学会員は、過去世の罪を受けて、乗り越える為に生きてるんですけどね。(私的解釈)
④他人を責めなくなった
何でも自分のせいなので、なんでも各々のせいなんです。
あと、みんな「学会家族」なのだから、一緒じゃなきゃいけない。
(学会員は全員家族のようなもので、団結すべしという池田氏の指導)
あの人は信心が足りない
あの人は題目(読経)が足りない
あの人は使命を自覚していない
本人に、学会員としてのやる気が見られないと、陰で囁かれる言葉。
不幸があると、「ああ、やっぱりね」って言うんです。
今思うと、陰湿です。
ほっといてやれよ、と思います。
でも、ストレスフルな学会では、必要なガス抜きなのかも…?
今は、本人の努力ではどうしようもないところに原因があるかも…? と、考えることができます。
むしろ、被害に遭ったのなら、加害者が悪いと思いますし、辛い気持ちの方は労わらないとなって思います。
「なんでも自己責任」は、厳しいし、辛いし、惨いです。
⑤お金の節約になった
これは、お金の話を参照して頂ければ早いですが…
一番は、毎年10~20万円出していた寄付が、無くなったことですね。
あと、私が嬉しいのは、「小綺麗な服やら靴やら、買わなくていい!」
私は、デニム中心のセレクトショップに勤務したこともあり、手持ちの服がだいたいジーパンでした。
あと、襟のある服が大嫌いで、スニーカーが大好きです。
仕事で着るなら、制服として支給されると思います。
だったら分かるけれど…
なんで、自腹で、嫌いな服買わなきゃいけなかったのか…
色んな章で書いてますが、本当にこれだけは無駄なお金と労力でした。
⑥視野が広がった
学会員って、同じもの信じてて、同じ生き方を理想に持っていて、同じ情報源から情報を得るので、言うことが単調で、多様性がないんです。
「それ、本当に自分がそう思ってるの?」って、疑問です。
だいたい「……って、先生は仰っています」って、後に付いている。
今、時間ができて、心にゆとりがあることで、色々なコミュニティで、色々な方とお話ができるようになりました。
中には、私と真逆の信念をお持ちの方もいらっしゃったり、想像もできなかった理論を展開する方もいます。
それが、ご本人の経験から来るもので、ご本人の言葉で表現されているのが、とても嬉しいです。
…私が嬉しがるのも変かも知れませんが、それくらい、「自分」を出す人に会わなかったんですね、学会員だった時は。
多様性って、生き物の生存戦略だと聞いたことがあります。
全部同じだと、同じ場所が弱点になるけど、違うところが弱点の「変わり種」もいると、全滅は免れる。
それが、学会は、ぜーんぶ同じ。
思想的なクローンを、大量生産。
宗教なんてそんなものかもしれないけど、そこに取り込まれるのは怖い。
せめて、どんなものか知ってから、入会を決めさせてほしかった…と、親を恨みます。
親を見てたら、「入りたい!」とは、絶対に言わなかったとは思いますが。
こんなところかなー?
また、思い出したら、第2弾書きたいと思います!