塩沼 亮潤 :大阿闍梨、慈眼寺住職のお言葉引用 | はるかのそら、日々の気づきを書いてます。

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急に冷え込むようになり、夏の疲れがドッと出やすい季節。そこで、最も厄介なのは、心の疲れともいえるストレス、憂鬱、怒り、不安などです。
そうした疲れを癒やすには、普段のちょっとした心がけが重要です。日常で使えるちょっとした思考の工夫を、究極の荒行を通して人生の悟りを得た塩沼亮潤氏(新著に『歩くだけで不調が消える 歩行禅のすすめ』)が語ります。


■人生の「四苦八苦」は半分にできる

 みなさんは、「四苦八苦」という言葉の本来の意味をご存じでしょうか。現在は慣用句として広く用いられていますが、もともとは仏教の用語で、人間が生きるうえで思うままにならないことを指す言葉です。

 「四苦」とは、根本的に人間が避けることのできない「生・老・病・死」の4つの宿命を意味します。人としてこの世に生まれてくること、 年老いていくこと、病に冒されること、そして死ぬこと。どうあがいても、誰も決して逃れることのできない必然的な定めです。

 「八苦」とは、人間が人間として生きていくうえで味わう、次の4つの苦しみを指します。

・欲しいものが手に入らない「求不得苦(ぐふとくり)」
・愛する者と別れなければならない「愛別離苦(あいべつりく)」

・嫌な人と出会ってしまう「怨憎会苦(おんぞうえく)」
・世の中はままならないものだという「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」
 これらは、決して避けようがない「四苦」とは本質的に大きく異なります。いったい、何が異なるのでしょうか? 

 答えは、「自分の心をうまくコントロールすることによって解決できる苦しみ」だということ。つまり、心がけ次第で、人生の四苦八苦のうち半分をなくすことができるのです。

 みなさんの心のなかに“針”があると思ってください。針は、あなたの心の動きにしたがって右へ左へと行ったり来たりしています。何かいいことがあったり、気持ちが満たされたりすると、心の針はプラスのほうに振れます。
 かたや、怒りや不満でイラッとしたり、ムッとしたりすると、その瞬間、心の針はマイナスのほうに振れます。イライラする時間が長く続いたり、その頻度が多かったりすると、針はマイナスが定位置となってしまいます。

 これはストレスを抱えている状態で、常態化すれば心身の健康にもよくありません。ときに、心の針が勢いあまって振り切れてトラブルを招いたり、最悪の場合は犯罪など取り返しのつかない事態に至ることもあります。

 イラッとしたり、ムッとしたりして得することは何1つありません。イライラした分だけ、人生は悪い方向へ近づいていきます。私たちは、心の針の動きに振り回されるのではなく、自らコントロールする必要があるのです。

■「四苦八苦」の克服方法

 イラッとしたり、ムッとしたりしたときには、「あっ、いけない」と早く気づいて、心の針をプラスの方向に引き戻す努力をしなければいけません。つねに心の針を「プラスに向けよう、プラスに向けよう」と意識し、それを実践する必要があるのです。

 前述した四苦八苦の「八苦」も、心の針をコントロールすることで克服が可能です。

 欲しいものが手に入らないときには、その存在を忘れてしまいましょう。「手元にないもの」や「手に入らないもの」について悶々と考えることをキッパリとやめ、かわりに「手元にあるもの」に焦点を当てて感謝しましょう。これは「知足」、つまり「足るを知る」という仏教の教えにも通じます。

 愛する人との別離は、受け止めがたく苦しいものですが、この世のすべては諸行無常であり、会者定離(えしゃじょうり/この世で出会った者とは、必ず別れるときがくる運命にあること)が人の世の定めです。出会えた意味を考え、それに感謝しましょう。

 社会に出れば、嫌な人、苦手な人と出会ってしまうことも必然です。イラッ、ムッというネガティブな感情にとらわれることなく、

 「なぜ、自分はこの人のことが苦手なのか?」

 「どうすれば好きになれるのか?」

 「このご縁に向き合うことで、自分はどう成長できるのか?」

 このように、ポジティブな発想転換をはかりましょう。

 そして、世の中はままならないものです。人生は自分の思いどおりにいかないことの連続ですが、そもそも、自分がコントロールできるのは自分だけ。自分以外の他者や外的状況をコントロールすることは不可能です。「思いどおりにしたい」という驕りを捨て、心の針をプラスへ向けながら、周囲と調和して謙虚に生きることで、人生の苦しみはぐっと軽減します。

■運の良し悪しは“心のクセ”にすぎない

 心の針がプラスに向けば人生は明るい世界に向かい、心の針がマイナスに向けば人生は暗い方向に向かいます。実は、これが人生の「幸」と「不幸」の分かれ道。つまり、人生は、各人の心の在り方によって変わるということです。

 人生の「運の良し悪し」は、実体のないあいまいなものでも、神通力に頼る他力本願的なものでもありません。ある意味、各人の“心のクセ”のようなものです。

 私自身も昔は、「自分は運が悪い」と思っていました。要領のいい人や、ズルをして利を得ているような人を横目に見ながら、ムカムカしたり、イライラしたりしては心を曇らせていた時期がありました。

 しかし、大峯千日回峰行をはじめとする十数年にわたる修行や日々の心がけの結果、心の針がいつもプラスを向くようになりました。すると、人生に変化が訪れました。あらゆる物事が自然と、よいほう、よいほうへと運ばれていることに気がついたのです。

 運とは、「運ぶ」という漢字を書きます。これは、幸運や不運が、ある日突然に立ち現れるものではなく、脈々と続く流れによって運ばれるものであるということを表しています。

 つまり、いまの自分の心が、明日の自分が運ばれる方向を決めるということです。よい方向、悪い方向、自分の未来がどちらへ運ばれるかは、いまの自分の心次第なのです。

 ときには、理不尽な不幸や悲劇に見舞われることもあるかもしれません。しかし、そこからどう立ち上がるか、どう希望を見いだしていくかは各人の心次第です。

 嫌な出来事や苦しい出来事があっても、悲しい出来事に見舞われても、それに引きずられることなく、心の針をマイナスからプラスのほうへと引き戻す努力をしましょう。

 「言葉で言うだけなら簡単だ。それができないからつらいんだ!」

 このように思われる方も多いかもしれません。それでも、あえてお伝えします。

不安に強い人は「諦める」を習慣にしている
 できなくてもいいので、努力を続けてください。最初から「できない」と決めつけていては、変化や成長はありません。できなくても諦めずに、コントロールしようとする努力を“継続する”ことに意味があるのです。
 今日より明日、明日より明後日……と努力を続けていると、だんだんと、マイナスが定位置となっていた心の針が少しずつ真ん中のほうへ、そして真ん中からプラスのほうへと振れはじめます。

■お釈迦様が説いた「人間の4つの生き方」

 お釈迦様はかつて、「人間には4種類の生き方がある」というお話を説かれました。その4種類とは、次のようなものです。

・光から光へと生きていく人間
・光から闇へと生きていく人間
・闇から闇へと生きていく人間
・闇から光へと生きていく人間
 光というのは、人間が理想とするべき生き方。つまり、明るい光を求め、心の針がつねにプラスの方向を目指している、前向きでポジティブな生き方です。

 一方、闇というのは、怒り、恨み、憎しみ、悲しみの気持ちにとらわれ、心の針はマイナスが定位置となったネガティブな生き方。つまり、人間としての成長を妨げる生き方です。

 この説法において、お釈迦様が「闇から光へ」向かう生き方を示唆してくださったことは大いなる希望です。つまり、いま、どれほど真っ暗な「闇」の中にいる人でも、心がけ次第、努力次第で必ず「光」の世界へ行けるということです。

 今日から“心の針”の存在を意識してみてください。そして、その針がつねにプラスに向かうように心がけてください。針がマイナスを向いたことに気づいたら、すぐに元に戻す努力をしてください。これが、人生の苦しみを半減させる極意です。

 この努力を続けるうちに、いつしか、お釈迦様のおっしゃる「光」の生き方があなたのものになっているはずです。

塩沼 亮潤 :大阿闍梨、慈眼寺住職



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