次男を乗せたベビーカーを押しながら、公園を散歩している時に、よく思うことがあります。

それは、私は「40代妊活」を切り取ってブログのテーマにしているけれど、実際には、私も含めて皆が「切り取れない、ひとつながりの人生を生きている」ということ。

例えば、私の場合は、生い立ちの事情から「絶対に子どもは欲しくない」価値観だったので、仕事一筋で生きてきました。そのため、20代や30代前半で妊娠・出産する選択肢は、あり得ませんでした。

(40代妊娠・出産のリスクの高さや大変さの詳細を、20代時点で知っていたとしても、です。)

 

ところが、39歳から「子どもが欲しい」価値観に劇的に変わったので、いかに妊活のタイムリミットに焦ろうとも、ベースは「間に合って本当に良かったし、幸運だ」と思っています。


このような経過を経て、現在は専業主婦になり、42歳で三人目妊活をしています。

 

さらに、現在だけをとっても、妊活以外の様々な要素との配合/バランスで、人生が成り立っています。次男の子育てを中心に、夫の仕事のサポートや自身の仕事の残務整理、資産形成、親の老後問題、親族との人間関係、自身の健康問題、友達とのランチ会の話し合い、旅行準備、ミスドでの一息、等々…

そんなふうに、AIと違って生身の人間は、切り取った単一の何かで測れるわけでも、メリット・デメリットだけで生きているわけでもないと思うんです。

誰もが、赤ちゃんからスタートして、幼少期、小中学校、高校、大学、社会人…とひとつながりに生きてきて、その間に家族との間で様々なことがあり、学校や仕事、恋愛で色んな経験を積み重ね…

 

そのような中で、自分ではどうする事もできない事情や要因に絡め取られながら、経験の意味づけや良し悪しの評価もその時々で変わりながら、複雑で混沌とした中を、手探りで生きている…それが人生の実相ではないかと思います。

その途上でたまたま、私を含めた一部の女性の現在に、人生的な必然があって「40代で妊活している」という一要素があるのだと思っています。

何が言いたいかと言うと、「40代妊活」と横断的に切り取れば、俎上には載せやすいですが…

実際には、一人ひとり違っていて、切り取れない、ひとつながりの人生を縦断的に見ないと、生きた理解に結びつかない
と感じています。

これまでも似たような事を書いてきましたが…

 

このブログを通して、様々な方のご意見に触れる中で、改めてそんな思いを強めています。