日曜勤行 指導
平成二十九年十二月十二十四日
十一通申し状
文永五年十月十一日 聖寿四十七才
諌臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し。

先般の総幹部会の大感動は未だ冷めやらぬものであります。席上浅井先生は国難4年の前進につき、「年間の折伏弘通は88,000、そして200万迄残す所54,000、これで明年の200万達成はハッキリと見えてきた。」と仰せ下さいました。広布の決戦場たる20年代の一点を見詰めた先生の息をつかぬ前進にグイグイと引っ張って頂いている顕正会の姿に、『広宣流布は大地を的とする』との大確信が込み上げ、踊躍歓喜の心を抑えきれぬものであります。

先生は平成26年を国難元年と定めた理由につき、「中国がアメリカ全土を射程に収めた多弾頭型核ミサイル東風41号と、潜水艦発射弾道ミサイル巨浪Ⅱ型の開発により、アメリカの一極支配に風穴を開け、同時に日本を守る核の傘は無くなり、日本に国家存亡の危機が迫ってきた。更に創価学会は本門戒壇の大御本尊を捨て奉る極限の大謗法を犯した。仏法の濁乱こそ亡国の根本原因。故にこの年を国難元年と名付け、200万出陣の5万人男子部大会を開いた。」と仰せられました。中国の軍事的脅威が増大する中に200万が1年も早く達成されることには、「2020年代の広布の決戦場に遅れたら申し訳ない」との御心を抱き続けてこられた先生の並々ならぬ御一念にただ畏敬の念、込み上げるばかりであります。

さる12月3日熱烈に開催された中国・四国大会につき、先生はその大熱気の大会を讃えられ、「東日本と西日本が肩を並べて広宣流布は滔々と進む、と喜びの心が湧き上がってきた。」と仰せ下さいました。そして改めて基礎教学書の広告文につき指導下さいました。

先生は「殊に強調したのは仏法は空理空論ではない。証拠を以って論じる」として、臨終の相の事、立正安国論の予言的中の事、竜ノ口で大聖人の御頸が斬れなかった事を示され、「この3つの大現証は誰人も否定できぬ。この大現証を以って日蓮大聖人の絶大威徳と大慈悲を教えていく事こそ順縁広布の戦いであり顕正会の折伏である。」と仰せられました。

「如何なる逆謗の人も、大国難迫る時、皆大聖人様に手を合わせる。」との御指導に大確信と踊躍歓喜の心はいや増し、この3つの肝要を新旧全員が教学研鑽で深め、明年からの大前進を固く決意するものであります。

先生は中国・四国大会で、正信会から入会した方の登壇に寄せて池田大作の企んだ本門寺陰謀につき御指導下さいました。

まず「本門寺改称こそ偽戒壇正本堂の誑りを完結させる陰謀であった。それは大石寺の名称を本門寺と改称する事である。これに成功すれば既に大石寺境内に立ててある正本堂は其の侭本門寺本堂となり、それは百六個抄に仰せの富士山本門寺本堂、また一期弘法付嘱書に仰せの本門事の戒壇と偽ることが出来、この時正本堂の誑りは完結する。之が池田大作の最後の執念、陰謀だった。」と御教示下さいました。

第六天の魔王その身に入りし池田大作は陰謀実現の為に顕正会を解散処分に付して抹殺せせんとし、その上で日本国の1/3の入信が広宣流布、との説法を細井日達にさせましたが、先生はこの無道心を「何というデタラメ説法か」と叱責の上、「諸法実相抄の『日本一同に南無妙法蓮華経と唱えん事は大地を的』殿仰せは絶対であり、この日本一同に唱え奉る広宣流布の時に、勅宣並びに御教書、即ち国家意思の表明を手続きとして富士山天母ヶ原に建立される戒壇こそ御遺命の戒壇、即ち事の戒壇なのである。」と明示下さいました。

三大秘法抄、一期弘法付嘱書に天日の如くに示された御遺命の事の戒壇建立の、時も、手続きも、場所も誤魔化し、既に立ててある偽戒壇正本堂を御遺命の戒壇と見せかけようとした事こそ本門寺改称の陰謀であった事を明解に指導下さいました。

この陰謀の主犯たる池田大作と共犯たる細井日達、阿部日顕との間には先生の強烈な諌暁により自界叛逆の罰が顕れましたが、全てはカネが原因であった事を伺っては、無道心極まる輩を諌め続けてこられた先生の激闘に唯平伏す思いであります。

この本門寺改称の陰謀こそ池田大作の乾坤一擲の大陰謀であり、池田大作に忠犬の如く従っていた阿部日顕との二人三脚は正に一枚岩であった事を思えば、大聖人様に対し奉る大忠誠心のみで唯御一人御遺命守護に戦われた御姿に忠宗が熱くなって参ります。

本門寺改称を企てた平成2年に20万法城を背景に著された「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」の一書は阿部日顕の肺腑を刳り、心に怖意を生じさせ、池田大作が誑惑完結を目論んだ大石寺開創七百年の慶讃法要の当日の阿部日顕の、大石寺の寺号公称は広宣流布の未来に有る、との裏切り発言となり、それより修羅と悪龍の凄烈なる大抗争となった事を御示し下さいました。

そして「平成10年偽戒壇正本堂は僅か26年で轟音と共に打ち砕かれ、地上から姿を消した事、正に凡慮を絶する不思議であり、大聖人様は大事な御遺命が破壊される事を断じて許し給わず。故に顕正会をして立たしめ、諌暁せしめ、諸天をして学会宗門を分裂せしめ、抗争せしめ、遂に偽戒壇正本堂を打ち砕き給うたのである。これで偽戒壇正本堂の誑りは完全に消滅した。」との重き仰せは、正に大聖人様の常住之説法を拝するばかりであります。

先生は「正本堂の誑惑を破し懺悔凄惨を求む」の末文を示されましたが、その分中の「この重大なる不敬を謝し御遺命違背の大罪を償う道は唯一つ。速やかに戒壇の大御本尊を清淨の御宝蔵に遷座し奉り、誑惑の正本堂を撤去する事、之以外には断じて無し」と。

この仰せは厳たる大現証と成りましたが、この未曾有の大悪たる本門寺陰謀に文字通り身命を抛たれ、粉砕された浅井先生の御雄姿を瞼に映しては、熱涙滂沱の中に大の不思議たる広宣流布、国立戒壇建立への絶対信として生命に刻ませて頂きました。

先生は顕正会を諌臣争子の御立場につき、かく仰せられました。
「顕正会は正系門家に於いては争子である。国にあっては諌臣である。今全顕正会員が日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に教え、知らしめんと戦っている事こそ諌臣の姿であり、遣使還告の一分である。」と。この勿体無い迄の仰せを賜り、亡国迫る国難5年を眼前に一層の師弟相対に徹して参る決意であります。

されば国難4年の締め括りに頂いた重大指導を生命に刻み、打ち込んで頂いた絶対信を盾に明年7月の200万に死力を尽くし、無二の師匠浅井先生に全員で御応えして参ろうでは有りませんか。



以上