こんばんはピーチ🍑です。
皆さん、いつも訪問
ありがとうございます
長いと思えた入院生活も
いよいよ今日で終わり
家に帰ってからの生活
不安になってきた
家事もしないとあかんし
仕事も探して働かないとあかん
次の受診まで不安やし
急に弱気や、、私
これで病気との付き合いが
終わりなら、
じゃあさようならさぁ頑張ろ
ってこれからに目を向けて、、
いつも通り
生きていけたかもしれない。
でも、癌は
取りました、終わりました
じゃないからね
これからも経過をみて、
子宮を取ったからって
終わりじゃない。。
私がこれからのことを恐怖に
感じてしまうのは・・・
8年前、1度目の手術では
元気に退院して
私と同じ子宮頚がんで
34歳で亡くなった
妹がそうだったから。。
そこから妹は、
再発、放射線治療、抗がん剤、
放射線治療のせいか、、
腸が破れて手術すると、、
腹膜に癌が飛び散っていると言われ。。
ドクターは‥
どうすることもできませんでした。
お腹を開くと、どこを取る?ってくらいに
癌は腹膜にふりかけのように点々と
広がっていたので、、そのまま閉じました。
腸が破れたので、敗血症という
命に関わる状態でしたが、
一命を取り留めるも
結局、癌は治療不可能。
妹は強い強い 生きる意志を持っていて
自宅と病院の入退院を何度も何度も
繰り返し
そして、、
私何があっても生きるからね!
と言い残し亡くなりました。
痛みがつらいだろうと
緩和ケア病院をすすめるとケンカ。
「お姉ちゃん、私が死ぬと思ってるの?!
私は娘が二十歳になるまでは
例え下半身が無くなっても、
どうなったとしても、絶対生きるんやから!」
そう言って、3歳の1人娘を残して
亡くなった、
たった一人の私のきょうだい。
私の妹。
あなたの壮絶な癌との闘いを
見てきたお姉ちゃんは
どこまで闘えるか、こんなとこで
不安になってるよ。
姉妹で同じ癌になって
私も子宮頚がんになってもうたーって
父親に報告したら
俺を殺してくれ!
なんで子どもらにいくねん。。
って父は泣いた。
母も泣いた。。
2人揃って私たちは
両親を悲しませてしまったね。
私の入院中、子ども達の為に、
毎晩ご飯作りに来てくれてる母。
1番の親不孝にならないように、、
生きるからね、
2人の1人娘になってしまった私が、
両親を見送ってあげな、誰が
2人を送ってくれるんよね。
生きるからね。
身体や心の病気と闘っているみんな、
元気に生きてるみんな、
この時期に経済的に生活が苦しいみんな、
生きようね。
今日、生きてるだけで丸もうけ
明日からも生きること
頑張ろう。
ではまた