普請方側 近戸門跡 の上から 中川民部屋敷前

 

段を上がって 左に 門があったのか

 

その門の前を 通り過ぎ 左に折れ 右に段を上がり

西の丸御殿に通じる通路 稲荷神社の下へ

 

 

 

 

段の左手の 石垣

 

 

 

 

算木になってる…補強か

 

 

 

布積み

 

屋敷の通路側の石垣 丁寧に積まれている

 

 

普請方跡 に 残された

手水鉢

 

 

 

 

餅がつける 石臼になりそう

 

細工の痕で タイムスリップ

 

 

 

 

普請方 東側

向かいは 家老屋敷跡

ここが 普請方 入口だと思う

 

さらに 東 清水谷側へ行くと

 

 

 

下の段に 埋門 が見える

入口の坂を上って 途中で右に行けば 下の段に行く

上の段から 埋門に行くには 戻るか

左の 中川覚左衛門屋敷から 周るか

 

 

 

 

こうみると

戦略的 防衛上の 埋門 ではないことがわかる

 

 

 

 

 

単に 通路 だった

 

 

 

 

後から 屋敷への通路へ 石段を造りつなげ

結果 埋門になった と推測する

 

 

 

 

 

もし 戦略上の 埋門なら

敵の後ろをつける位置にあり

武具を持っても 通れるようにするか

敵の侵入を防ぐように

大きな石で 塞ぎ埋めれるようにするか

 

ここを 埋めても 侵入を防ぐことは できない

周囲から 容易に 攻め入られる

 

 

だが 普請方 が ここを 残したくて

埋門にしたんだと思う

 

と 勝手に思っている