二部 3 | ドンティーのブログ

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そよ風のように

弘樹は自分を責めたが、それは真実そう信じているからとは自分でも考えられなかった。

本当はそうではないのではないか、と疑っていた。

はるかを直接責めることは、最初から考えられなかった。
だから自分が、という気にはなるんだが、実際どのくらい反省していたかとなると心もとない。

自分が悪い悪いと言いながら、全然反省していない厚顔の者にさえ思えてきてしまうのだ。
現実的には、悪いと謝るのさえ苦手な性格ではあったのだけれど。


考えることより問題は、態度であったり、行為であるはずだった。
いざその段階になると抜けていくものがある。
それは若いとか未熟とかいわれるものなのだろうか。
性格の中のそんな部分が行動の中で顔を出すのだ。

ひどく高名な人が生活の中で、子供じみた妄執にとらわれるのはよく聞く話ではあった。

別に弘樹は高名でもなく、子供じみた考えにとらわれているわけでもなかった。彼は自分に自信があったから、傲慢になることがあったのかもしれない。

卑屈になるよりはましであるとしても、生活をともにする身にとってはきついものなのかもしれない。

強情で融通が利かない。

実を言えば、それは両者に当てはまってしまうものなのだ。
だからどこかで妥協しなければならないのだけれど、
簡単にできない場合があった。
それがいつもケンカの原因になるのだろう。

当時はっきりとわかっていたわけではなく、
今、冷静に振り返ってみると、
そういうことなのかもしれないと半分納得するに過ぎないのだけれど、
当時はそういうふうに考えることさえできなかった。

意地の張り合いのようになってしまうし、
折れることができなければ口を利かない
というようなことにエスカレートしていった。

はるかは曲がったことが嫌いで頑固だった。
それはそれを非難しているわけではなく、はるかはそういう性質だったのだ。

弘樹は弘樹である種、信念の人だったから、譲れない一線があった。

お互いそれは尊重しているはずなのに、生活の積み重ねの中で衝突が起こるのだった。

それは本当に些細なことで、
例えばどちらがコーヒーを入れるのか、
といったことでも争いの原因になった。

弘樹は家事は分担しようと口では言うくせに、
実際は全然手伝ってくれない、と彼女は非難してくる。

そうすれば、いやそんなことはないよ、と言わざるを得ない。

そうだね、
と引き取る度量なり、ノウハウがあれば、
また違った展開になったかもしれないが、
彼にはそれができなかった。

洋装の服に着替えたけど、
髷を結ってるみたいな考えと行動のギャップの中に彼はいた。
明治時代の知識人みたいに。