術後2年と3ヶ月。



一昨日の深夜、
日本に住む実家の母が
倒れてしまいました。


父が重症心不全で入院しているため、
母はここ数ヶ月、
ずっと一人暮らしなのですが、
その日の夕方から
なんとなく気分がすぐれないと思っていたら、
夜になって息苦しさに襲われたそうで、
血圧が150まで上がってしまい、
連絡を受けた県外に住む妹が
近所の人に電話して
救急車を呼んでもらうように伝え、
病院に搬送されたのだそう。


救急車の中では
血圧が190近くまで上がったものの、
病院で検査をした結果、
どこも異常はなく、
甥っ子の運転で駆けつけた妹が
実家に連れて帰ったそうで。


どうやら暑い夏の間も
ほぼ毎日
父の病院に通い詰めだったことによる
過労や精神的なものではないかと。


やはり、
母も父と同じく高齢で、
父は療養病院に入院しているとはいえ、
老老介護のようなもの。


いつ心臓が止まって
亡くなっても不思議はない、
と担当医師から言われていて、
たまたま行かなかった時に
父が亡くなってしまったら
後悔してしまうだろうと、
数ヶ月間、ほぼ毎日、
通っていたのだろうと思いますが、
代わりの人もいなくて
ずっと気が休まることが
なかったのだと思います。


妹や甥っ子たちも
仕事がない日は母と一緒に
病院に行っているようですが、
自分も高齢で体力的に大変な中、
でも、自分一人だから
倒れることはできないという
プレッシャーの上に、
先の見えない介護は、
精神的にも経済的にも
不安がいっぱいだろうなぁと思いました。


食事も一人だと
適当になってしまっていたかもしれません。


駐在員家庭はどこのお宅も
親の死に目には会えないという覚悟で
海外におられると思うのですが、
私もこちらに子どもたちがいるので、
親に何かあったとしても
日本に帰って面倒を見ることは
現実的ではありません。


親もまた、
子の世話にはならないくていいよう、
もしかすると
もう帰ることはないかもしれない、
元気でいてくれたらそれでいい、
というくらいの覚悟で、
私たちを送り出してくれたと思います。


うちの母は昔から社交的で
普段から隣近所の人たちと交流があり、
今回のようなときに
助けてもらえて
本当にありがたいと思います。



夜になって、母からLINEがあって、
今朝、近所の病院で
点滴をしてもらって、
ゆっくりしたら
すっかりよくなったそうで、
ホッとしました。




一方、私はというと、
結局、副鼻腔炎で6日ほど熱が続き、
抗生物質を服用して4日目に
平熱になりました。

ただ、体のだるい感じや、
黄緑色の痰や、
なんとなく嫌な感じの寝汗みたいなのは
まだ少し残っています。


今回の母の一連の事件で、
私の副鼻腔炎どころではなくなり、
回復せざるをえなかった感じもあります。



2年前、
私が子宮全摘手術をした時は、
まだ父も母も元気だったのにな…
と、ふと、実家に滞在していた
あの頃の光景を、
思い出したりした今日でした。