あなたの、今朝の記事を読みました。
あなたの言葉は、私だけに向けられたものではないかもしれないけれど。
何回も読んで、読むたび、涙が出そうになりました。
なんでなんだろうね。
こんな感じの記事でした。
与えられたのものを、素直に心から喜んで、ありがとう♪受け取ると、与えた方は、とても嬉しくて、ありがとう!あなたは最高にすばらしい!っていうエネルギーをもらえるんだよ。
よく、そんな夢を見る。
私の愛は、永遠だよ。
変わらない自信がある。
だって、今を積み重ねるだけだもの。
疑わないし、不安もない。
でも、ズレが生じた時は、ぴたっと合わせるよ。
私が魂と合わせるように
わたしとあなたも
こんな感じです。
結局、私の中の恐れの問題だったのかもしれないって、思い始めてた。
言葉が足りないかもしれませんの記事を書いた後で。
自分で、恐かったのかもしれないって、書いてたから。
動機が愛か、恐れか、で、物事はエゴかどうか判断したらいいって、聞いたことがあったから。
私って、たくさん、受け取ることに慣れてなくて、受け取り下手なのかもしれない…
子どもの時のことを、思い出しました。
私は、不注意な子どもでした。
何かの拍子に、コップを握る手の力が弱くなって、よくコップを落として、中身をこぼして、
「なんで、ふわっと持つの!ぎゅっとしっかり持ちなさい!」
って、よく、怒られていました。
何か、母が嬉しくなることを、私がすると、その時は、めちゃくちゃ褒めてもらえました。
でも、私は、母に、おおげさに褒められることは、気恥ずかしい気持ちになるだけで、なぜか嬉しくなかったのてす。
心の中に、冷めた気持ちがあったかもしれません。
母を喜ばせていないと、私は、やっぱり、愛されないんだって、褒められた時に、確認していたのかもしれません。
母は、他人が、例えば、お礼としてお返しをしなかったら、その時によっては、不平不満を言って、私に、常識はこうだよと教えてくれました。
だから、私は、世の中は、常識外れのことをすると、悪口を言われる恐いところだと、覚えました。
母は、明るくて、面白くて、大雑把で、しっかり者で、せっかちで、自分の気持ちに素直で、短気で、心配性な人でした。
父は、幼くして、両親を亡くして親戚に預けられた経験があり、性格がとても、歪んでいます。
だから、九州から一人で大阪の父に嫁いだ母は、大変で、ほんとに、よく、頑張ったと思います。
私は、お金にも苦労していないし、暴力をふるわれたわけでもなく、むしろ、両親から、愛情はしっかり注いでもらったと思っています。
感謝しています。
頑張って育ててくれた両親にばかり、完璧を求めてはいけませんから。
もう、私のインナーチャイルドは、癒やされたと思っていました。
でも、このタイミングで、このことを思い出すということは、まだ、子どもの頃に培われた思い込みが残っていて、それを手放しなさいということかもしれないと思いました。
愛情は全て、素直に、たくさん、受け取ってもいいんだよ。
なくなってしまって傷つくことを、恐がらず、受け取った方が、幸せに生きられるんだよ。
だから、制限をかけず、受け取ってみて。
って、いうのが、今の私の受けているレッスンなのかも知れません。
優しいレッスンだなぁ…🩷
あかん、
泣けてくる…
今日も、読んで下さって、ありがとうございました✨