私の半生のお話。 | 名波はるかオフィシャルブログ「株ドル名波はるかのビットコイン投資ブログ」by Ameba

私の半生のお話。

FRIDAYダイナマイト!の告白を読んで、たくさんのコメント、メッセージをありがとうございます。



前回同様、たくさんのメッセージが届いており、ひとりひとりに返信することがなかなかできませんが、励まし、応援のメッセージがほとんどで、涙が出るほど暖かい気持ちになっています。



本当にありがとうございます。






記事に出たとおり、私は今、37歳、バツイチです。



22歳の時、ミス港区、準ミス日本に選ばれ、ミスの任期中、23歳で近視治療手術・レーシックのお医者さんと結婚。



青山にある高級マンションに住んでいました。



ところが結婚後、彼が元彼女と別れていないことが発覚。そして彼の経営するクリニックが経営破たんし、いきなりの借金地獄。



家に借金取りが昼夜問わずに訪れる日々。。。



彼は精神的に参ってしまい、毎日のように壁に頭を打ち続けたり、壁を殴ったりしていました。



賃貸マンションだったので、解約の申し出をするも、解約3か月前通知の家で、仕方なく3ヶ月間、借金取りが来ようとも、家賃も払えず、不動産管理会社から催促が来ようとも、借金取りは無視。不動産管理会社には払えないので敷金と相殺でお願いします!の一点張りで住み続けました。



ほどなくして、大阪の投資家の方が、彼のレーシックの技術に興味を持ち、投資するから大阪でクリニックを開設しないか?という話を持ちかけてきました。



二人とも大阪という土地は初めてだったけれど、私は元の彼女とも縁を完全に切るいい機会だと思い、一緒に大阪に移り住むことにしました。



私もクリニックを手伝い、徐々に患者さんの数も増えて、借金の返済も終えたのですが、その頃には彼の性格が全くの別人になっていました。



まるでヤ○ザのような高圧的な言い回しをするようになったし、優しさや思いやりを感じることがなくなっていました。



おそらく、究極に辛い状況に追い込まれて、人を信じる心や思いやりの心を持てなくなってしまったのだと思います。



毎日死ぬほど働いても、「自営業の男と結婚したのだから、いい時期ばかりじゃない。苦労するのも当たり前」とずっと言われ続けました。



本当にそれはその通りです。



富める時も病める時も、と誓ったのですから。。。



それでもほんの少しでも、当時の私は、ねぎらいの言葉が欲しかったのだと思います。



がんばっても、がんばっても報われない。



友達もいない大阪で、誰に愚痴ることもできない。



時々、ふと東京に帰りたいと思うようになりました。



そんな中、クリニックに泥棒が入り、備品や少々のお金が盗まれる事件が起こりました。


犯人は絶対に医療事務の従業員のひとりだから、全員クビにしろ、と彼は言いました。



私は、医療事務の女の子、3人を信じたかったし、仕事をがんばってくれているのにクビになんてできない!と言いました。


何度も話し合ったのですが、結局は私は彼の言うとおり、彼女たち三人に大変申し訳ないのですが、辞めていただきました。。。



その後、犯人がそのうちの一人で、捕まりました。



3人の中に犯人はいない、と思っていたのに、とてもショックでした。



そして、クビにした他のふたりにも、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

どんどん私自身も精神的に追い込まれる中、今度はまた別の事件が。



彼が手術のため出張中に、東京のスチュワーデスの友達から、大阪ステイなので、会えない?という誘いを受け、久しぶりに友達と会うことに。

久しぶりの楽しい時間を過ごし、帰って家の鍵を開けていたとき、いきなり背後から口を押さえられ、ナイフを首にあてられました。



殺されるか、レイプされるかのどちらか。。。というところでしたが、ドンキホーテで売っている、銀行強盗のようなマスクの下の顔は、どう見ても見なれたクリニックの患者さんでした。



「私はこんなことをされても、あなたのことを好きにはならないし、軽蔑する!」といったようなことを一生懸命まくしたてました。



その男の子は(年下で高校生でした)顔がバレたので何もできないと思ったのか、そのまま黙って帰って行きました。



結局私はこのことを彼に話せず、大阪にいることが苦痛になり、「東京に帰りたい」と連呼するようになってしまいました。



一時帰宅、のつもりで帰った東京で待っていたのは友達、親、暖かい、優しい環境。。。。。



行ったり来たりしながらも、だんだんと東京にいる日数が増え始め、別居状態になりました。



離婚の申し出をしたのも私からです。



当然、慰謝料などは発生していません。



自分の力でなんとかして生きて行かなくては!と心は焦るものの、新卒でもなく、なんのスキルも無い私は何をすればいいのか、わかりませんでした。



とりあえず、大学生だった友達の紹介で、ティッシュのサンプリングなどをするコンパニオン事務所に登録し、なんでもいいから、アルバイトからでも仕事を始めようと意気込んでいたところ、初めてのオーディションがレースクイーンのオーディションでした。



ここから先はFRIDAYダイナマイトに書かれている通りです。。。







そのあと、レースクイーンを卒業し、グラビアに転向した後も、ワインの輸入業で起業してみたり、株で300万円を5000万円までにしたものの、ライブドアショックでそのほとんどを失ったりと、山あり、谷あり、本当にせわしない人生でした(笑)



たくさんいただいたメッセージの中には、可哀想といった表現や、どうしてそんなにマイナス方向の話しばかりなの?とか、暗くて重い話しばかりだね。。。とか、そういったものも多かったのですが。。。



実際の今の私は、これらのことすべてがあったからこそ今の自分が存在している!と感じ、むしろとても感謝しているんです。



体験した経験はもちろんのこと、結婚していた彼にも、感謝しています。



私は出産以外の(笑)大抵の苦労は経験してきたと自分で思っています。



すべてのことを乗り越えられたのだから、もうどんなことも怖くない!



恐怖心がないということは、どん底からの脱出方法を知っているということに繋がると私は思うんです。



人生は実体験を重ねての修行です。



谷からの脱出方法を心得たなら、次のステップは山にいられる時間を少しでも長くする事。



山に長くい続けるには、山にいるとき、その状況に安心しすぎない事、胡坐をかかないこと、謙虚に生きる事。



私の今の大きな課題です。



私ってプラス思考と言えば聞こえがいいんですが、すぐ調子こいちゃうタイプなので(笑)



日々前進、今、とても穏やかな気持ちです。



これを読んでくださるみんなや、私に関わるすべての人に感謝します。



そして、深い山と谷のある、人の痛みを少し感じとる事ができる、我が豊かな人生に感謝アップ








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