Amazonで注文していた、欲しかったマリー・ローランサンの画集が昨日届きました。
その画集は、私が生まれる前に出版されたもので、現在は絶版になっており、どこを探しても見つからなかったのですが、Amazonで簡単に見つける事が出来ました。
お気に入りのコーヒーを準備して、ゆっくりとその画集を見たのですが、とても美しくて贅沢な時間となりました。
子供の頃、マリー・ローランサンの絵を見るたびに、柔らかいパステル調の色彩なのに、何でこんなに哀しい色をしているのだろうと不思議でした。
とても美しい色調なのですが、通常パステル調からイメージする、暖かさや柔らかさから対極にある印象でした。
彼女の絵は全て好きですが、ギョーム・アポリネールと付き合っていた頃辺りの絵が特に好きです。
それにしても、芸術って本当に素晴らしいなと思います。
ここ数日、母とのことで気持ちが落ち込む事が多く、悲観的になっていたのですが、画集を見ていると気を紛らわすことが出来ました。
私は小さい頃から、「〇〇しなくてはいけない、〇〇でなければいけない」という意識によって行動をしてきました。
美術鑑賞と読書は、私が生きる上で軸になるくらい大切なものなのに、10年近く「一人暮らしだから物を増やしてはいけない。本は買ってはいけない。」と言い聞かせて生活してきました。
もう何年も前ですが、母が私の家に来た時に、クローゼットなど勝手に開けて「一人暮らしなのに物がありすぎる。捨てろ。そして物を増やすな」と言ってきました。
実家にいた時も、母は私の部屋にある沢山の本を捨てさせました。
そして当時は、母が私のことを思って言ってくれていると思っていました。
そうしたことが重なって、一人暮らしだから物を増やしてはいけないと思い、読みたい本も見たい画集もずっと我慢してきました。
本を1冊買うにも、どうしても欲しいのか?何度も読み返すのか?など考えて考えて、やっと1冊買っていました。
しかしそういった熟考の末に買った本でも、何冊か溜まると罪悪感が押し寄せてきてすぐに売っていました。
本が溜まると部屋も狭くなるし、もし引っ越しするとなった時に物が多いと大変になると自分に言い聞かせていました。
でも最近模様替えをした時に、
「本が溜まって部屋が狭くなるなら、綺麗に収納できる棚を買えばいい。引っ越し作業は数日だけれど、家で過ごす時間は何年にもなるのに、その数日のために数年を犠牲にするの?本当にそれでいいの?」
と考え、そんなのは嫌だ、私は本も読みたいし、好きなインテリアにしたいし、沢山の画集も手元に置いて繰り返し見たいと思っていることに気づきました。
私が欲しがっている物質的な物は、生きていく上で必ずしも必要な物ではありませんが、生きていく上で私の人生をより豊かにしてくれる物です。
母から見たら無駄な物でも、私にとっては必要な物です。そしてそれは、他でもない私が決めることです。
このことに気付くのに、とても長い時間がかかりました。
私は本当に自分の人生を主体的に生きられていなかったんだなと思います。
自分の人生を主体的に生きるとは、かくも難しいことかと思い知る事ばかりです。でも気づき始めた自分を、まずは自分で褒めてあげようと思います。