「あの夜のことは、あまり覚えていません。覚えてないっていうか、思い出したくないっていうか」
刑事の、ペンを握る右手の動きが止まった。
「あの…話していただかないと、こちらとしても困るんですが」
「ですよね、分かってます。分かってますよ。でもね、あんなもの、思い出せっていう方が酷ですよ」
「あんなもの、と言いますと…」
「…すみません。お水いただけますか」
初老の男は、渡された水を飲み干した。
首には汗の筋が幾つも伝っている。
「すみません。午後からまた営業が入っておりまして、遅刻したら首切られるんです。」
そう言うと、初老の男は出ていこうとした。
「あの!」
声を上げたのは、初老の男の向かいに座っていた刑事だった。
「最後に一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
初老の男は黙って振り返った。
その表情は、何か核心を握られたような、不安に満ちたものだった。
「ミザヤ。…聞いたことある言葉ですよね?」
初老の男は、少ない髪を纏った頭を掻きむしった。
