『さよなら渓谷』(さよならけいこく)は、吉田修一による日本の小説、およびそれを原作とする2013年の日本の映画。『週刊新潮』(新潮社)にて2007年7月26日号から同年12月27日号まで連載され、2008年6月に刊行された。
あらすじ
都心からほど近い山間の景勝地の渓流で幼い男児の遺体が見つかり、間もなく男児の母親・立花里美が殺害容疑で逮捕される。事情聴取で黙秘を続けていた里美が、隣人の尾崎俊介と肉体関係があったと供述を始め、俊介の妻・かなこもそれを裏付ける証言をする。記者の渡辺一彦は、事件を取材するうちに尾崎夫妻の暗い過去にたどり着く。尾崎は大学時代、野球部のエースとして将来を嘱望されていたが、夏休みのある日仲間らと共に集団レイプ事件を起こす。そんな過去を持つ尾崎に対し、なぜか完全に否定的な気持ちを持つことができない渡辺は、同僚の小林と共に事件の周辺を洗いなおす。そこで明らかになったのは、事件の被害者である水谷夏美が自殺未遂のあと行方不明になっている、という残酷すぎる事実だった。
すでに死亡しているのではないかという二人の予想とは裏腹に、男と歩いていたという目撃情報があがった。湧き上がる胸騒ぎを抑えることができない渡辺。二人が確認した事実はあまりにも衝撃的だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%AA%E3%82%89%E6%B8%93%E8%B0%B7より
感想
ネタばれありかもしれません。
いやー、きつかった。
かなこが事件にあってからのそれぞれを描いた部分が、ぼろぼろのかなこを見るのがつらくて。自分が似たような経験をしているからそう思うのかな。4年前にこの作品を観ていたら全く違う感情を抱いたと思う。むしろ全く理解できずに???ってなるだけだと思う。
幸せにしたくないから、自分も幸せになりたくない。
幸せになるために一緒にいるんじゃない。
そんな言葉の奥底に、抑えられないくらいの愛と、憎しみが見えたような気がします。
愛してなかったら、そんなこと言わないし思わないと思う。
傍から見たら加害者と被害者で。なんで一緒にいるのかとか、かなこの行動とか理解できないと思う。(私もわからん。)
でも2人の間の関係はそんな簡単なものではなく、愛とか憎しみとか、一方からでは捉えきれないくらい色々な感情があったのかな。
あまりに複雑すぎて、周りの人はもちろん、当人も自分のことが分からなくなること、ありますよね私たちにも。
人と人の関係なんて、言葉で簡単に表すことなんてできないし、完全に言葉で表すことができたなら薄っぺらく感じてしまう。
レイプをしても平気で社会的成功をしている後輩。自分の罪に苦しむ尾崎。
たとえ若気の至り、一回だけ、でも、自分の犯した罪はずっと償わないといけないんですね。
でも自分の罪を分かっている尾崎みたいな人がいるだけましなのかなぁとも思ってしまいました。
世の中には後輩みたいに、済んだこと、笑い話、みたいに思っている人も多いから。
なにが幸せなのかな。分からなくなっちゃいました。
人は自分の行動で人を深く傷つけることもできるし、深く愛を知ることもできる。
深くて深くて。底が見えなくて怖い。
楽しさって表面をさらっと優しく撫でてくれる感情だと思う。
逆に悲しさとか憎しみとか愛とかって、深く深く、自分の中に入り込んでくる感情のような気がする。
感情にもいろいろな種類があるんだな、なんてふと思いました。
まとまらないので、自分のやることには責任を持とう…なんて関係ないことで〆ます。
友達におすすめされた映画だけど、安易に人に勧めちゃいけない映画ですね、過去のトラウマを思い出しちゃう人もいるだろうし。
でも観てよかった。すごいしんどかったけど。