その後、病室で待っていると嫁さんが処置を終え帰って来ました。
うちの母、嫁さんの母と泣きながら
「頑張ったね!自分が大変だつたのに子どもを一生懸命に産んでくれてありがとう!」
そう言い、病室は静まりかえりました。
私の父が
父「これは医療事故じゃないのか?医師に会って話しを聞きたい。おれは許せない!」
私「今、そんな事言っても現実は変わらんやろ?今は子どもの回復を願うしか無いやろ!」
と言い、父をなだめました。
父の気持ちも分からなくも無かったのですが、今怒ったりした所で息子の症状が変わる訳では無かったので冷静を装いました。
それから時間も経ち、嫁さんの妹も病院に駆けつけてくれた。この時、一番助かったのがこの嫁さんの妹の存在でした。
嫁さんの妹はMRと言う、製薬会社で薬の営業をしており、薬に関してはプロフェッショナル。
クリニックのスタッフと話しをすると嫁さんのアナフィラキシーショックになった薬について家族みんなに話しをしてくれました。
今回の原因となった薬はごく一般に使われてる薬であり、事前に適合の検査をする事は稀な事である事。薬のアレルギーは十人十色でその時の環境でも大きく変わり、アナフィラキシーが起きると製薬会社は国に報告書を出す事になってるいるとの事
その説明に、私の父も落ち着きを取り戻しました。
そして、聖マリア病院から電話があり検査が長引いているので14時に病院に来て欲しいと連絡がありました。
不思議な事に人間は何があってもお腹が減るものです。両家の両親で
「近くに昼食を食べに行こう」
と言う話しになり、両方の両親と私、嫁さんの妹と6名でクリニック近くにある小洒落た店でランチをとりました。
さすがに私は食べ物が殆ど喉を通らず食べ残しましたが、他のメンバーは完食していました。腹が減っては戦は出来ぬとはこの事と感じた時でした。
予定の時間になり、嫁さんの妹は病室で嫁さんのフォローをしてもらい、両方の両親と聖マリア病院のNICUへと向かいました。
向かう道中では「救急車で運ばれたけど、大きい子だし、手を動かしていたから大丈夫だろう!」なんて笑いもあるようなんて会話をしていましたが現実は甘く無かったです…。
聖マリア病院へ着きメモを頂いてたフロアへ行くとスタッフよりカンファレンスルームへと案内され、そこには医師が2名いました。
医師「本日は大変でしたね。早速ですが子どもさんの病名をお伝えします。息子様は新生児重症仮死です。簡単言うと仮死状態で生まれ重篤な症状です。信号で言うと黄色から赤に変わるところです。退院もすぐに出来る状態では無く早くて5〜8週間はかかります。脳には酸素が必要ですが、お母さんからの酸素が止まり脳の一部が壊死している可能性が高い状態です。脳への影響を止める事は出来ても治すことは出来ません。つまり最悪な場合は死ぬ事もありますし、障害が残る可能性も高いです。もし障害が残る場合は脳性麻痺となります。今は何とも言えませんが、最良の処置は行いますが、覚悟を決めて頂かないといけない事があるかも知れません。私も辛い事は言いたくありませんが、それが現実です。」
私「そうですか…。息子にはどのような処置を行うのでしょうか?」
医師「こちらに搬送された際に痙攣もありましたし、脳内の出血も見られました。まずは脳への影響をこれ以上進めない為、低体温療法を行っています。睡眠薬で眠らさせ体温を33℃まで下げており脳を休めていますが、身体の抵抗力が下がる為、合併症のリスクがあります。しかし、こう言った場合には低体温療法が一番有力だと言われています。3日間行いますので、3日間は目を覚ます事はありません。心配でしょうが、3日間は携帯電話が鳴らなければ順調と思って下さい。まずは3日間待って下さい。」
と言われました。
その後面会に行きましたが沢山の機械がつけられた我が子を見て涙が吹き出してしまい、両方の母親も後ろで泣き崩れていたのを覚えています。
そして、看護師より入院の説明と産科医療補償制度の案内を渡され、脳性麻痺等になった場合は国から補償が受けらる説明がありましたがほとんど説明は頭に残りませんでした。
待つしかないとは分かっても辛すぎる現実でした。
その④に続く