同じ市内で発生した事件

 

近くで起こったということもあるけど、ふと抱いた希死念慮がわりとお手軽に叶ってしまう時代になったということに、強く心動かされて。

 

人生折り返したか?と思うくらいの齢になった今では、死にたいと思うことはないけれども、10代〜20代前半にかけては死への憧れのようなものがあったように思う。

 

上差し今は魂が肉体を離れるという意味での死には興味を持っているけど、それはいわゆる「死にたい」とは全然別物だし、その時期はまだまだ先であってほしいと思っている

 

若者は身体のコンディションもよく、エネルギーもいっぱいで、死とは対極にあるはず。

 

だけど、だからこそなのか、縁遠いところにある死に憧れのような気持ちを抱くこともあるように思う。

 

いじめられているとか、何か逃げたい理由がある場合はまた別として、さほどの問題もないのに死を思うということ。ごく一部の変わりモノの話しだけど。

 

例えていうなら江戸川乱歩の世界。人生は退屈、だから慰みに殺しを、という。矛先が他人に向かえば殺しだし、自分に向かえば自死となる。

 

そんなお話しの世界が、知らない人と簡単につながれるツールの普及で可能になってしまったように思う。

 

需要と供給がマッチしたわけだし、良い時代といえばそうなのかもしれないけれど。

 

危ういところでなぜか死なずに生きながらえた身としては、数年後には生きてて良かったと思っているかもしれないよ?といいたい。

 

自死はなかなかにハードルが高いから、実行できず、あるいは未遂に終わったのちに新しい道がひらけてくる可能性がある。

 

それが、5万くらいで誰かに何とかしてもらえるとなったら、ハードルめっちゃ低くなる。簡単に越えられちゃう。いくつもの道のうち、輝いている道の存在に気づくこともなく、そっちじゃない!って方へ容易に向かってしまう。

 

すべて必然であるなら、それも必然かもしれないけれど。

 

何が正しいか間違っているかもわからないし、対策も思いつかないけれど、ただただ動揺させられた事件でした。