怒りやすい人、カッとなる人はいる。それを、韓国ではファボンと呼ぶ。
漢字だと「火病」と書く。
怒り出したり、興奮したりして手に負えなくなる人の性質をいう。
日本人にもいる。が、日本ではその名前はない。かっとなりやすい人、とでもいうのだろうか。
韓国の飲み屋街を歩いていると必ずでくわす。飲み屋の二階か、路地の奥かどこかで怒鳴っているのだ。
外まで聞こえてくる。最初は喧嘩でもしているのだろうと思った。
私の仲間にもいた。だいたいいつも同じやつがそうなる。そうなると面白いもので、周りの連中は何もなかったような顔をして飲んでいる。あーまたはじまった、とでも思っているのだろう。
いつぞやはそのまま店から飛び出し、どこかに消えてしまった女の子がいた。しかし宴会は何もなかったように続いている。
私は心配して、あの娘大丈夫か、と聞いても周りは大丈夫さ、うちに帰ったんだろ、とかいう。
さらに、あの娘はみんなで日本に行く時に、仁川空港でああなって飛行機に乗れなかったんだ、とか言う。
あの娘と書いてしまったが、某大学の先生だ。とても知的で、いい人で、日本が大好きな人だ。酔っ払うと I love Japan! と言う。東京のベイサイドの某ホテルがお気に入りで、東京でお会いしたこともある。上品でおしとやかな美人だ。
私は大好きだ。
こういう愛すべき人を受け入れるのが韓国でのノミニケーションの一つだ。
韓国のノミニケーションは奥が深い。
この人は、ドイツ製のクルマを所有していて、いつも飲み屋のそばに駐車していた。最初は飲酒運転になるのではないか、と心配していたが、韓国は運転代行業が発達していた。
これも不思議なシステムで、電話すると運転代行業者の人が、歩いて、一人で飲み屋までやってくるのだ。一人で。
まずここでおかしいなあ、と思った。日本の代行だと二人で、軽自動車で来るのに。
さらに不思議さを増したのが、下車後のことだ。依頼された車を運転し、その所有者の自宅の駐車場に入れ、料金をもらう。住居地はだいたい郊外だ。だがその業者は、一人でそのまま暗い街の郊外に消えていくのだ。
あいつ一人で歩いて帰れるのか? と聞いても大丈夫だろ と周りは答えるのだが、、、、、
この大丈夫、を韓国語では ケンチャナヨ という。
大丈夫 平気 といった感じだろうか。ケンチャ、ケンチャともいう。
これを韓国人のいい加減さと捉え、嫌う人がいるが、違う。
ケンチャナヨ と言っていないと生きていけなかった、済まなかったのが、韓国の近現代史なのだ。
韓国は、今から七十年前は、世界最貧国と言われていた。日本に占領され、中国共産党と戦い、国を分断され、上空には戦闘機が飛び機関銃を地上めがけて撃った、親族は北緯38度線をさかいに南北に分かれた。
それが、今では人口は日本の三分の一にもかかわらず、世界企業をいくつも抱え、国民生産量を日本に肉薄する国となった。
しかし、いまだに多くの矛盾を抱えている国なのだ。
仲のよくなった彼は言う、今度お前が来たら俺の車で平壌に行こう、と。