韓国にも高級鮨店はある。
私は日本では回る鮨は入らない。あれは鮨ではないと思っている。韓国にある鮨屋のほとんどは回る鮨のようだ。だから韓国での鮨屋の経験はまったくなかった。
別にそんなことを喋ったわけではないのだが、高級鮨屋に連れて行ってくれるひとがいた。その理由は後でわかる。
だからこの高級鮨店は回らない鮨屋だ。外装はやや和風、といったところか。店名のロゴも筆で漢字で書かれたものだ。洒落ている。
内装は日本の高級鮨店と大差はない。檜の一枚板のカウンターが板前を囲む。ただ、ここは板前は一人だ。
かなり高額の店のようだ。お粥が突き出しにでる。韓国の高級店は大体付き出しがお粥だからだ。
さらに、メニューは魚が二種類しかない。
何を頼んでも同じ魚しか出てこない。九州のヒラメと東海(日本海)の本鮪だという。
韓国で車のガソリンを注文する時には「満タン」で通用する。日本と違い、全てハイオクなので軽油以外は安心して注文できる。「ハイオク満タン」という必要はない。ただ「満タン」でいい。
韓国でのモータリゼーションは進んでいて、高速道路はもう計画されていないという。韓半島を縦横に高速道路が走っており、主要都市間はそれぞれ三時間内で行くことができる。多くの国民はクルマを使い、韓半島の移動をする。そのぶん鉄道は使われず、従って本数が少ない。
したがって、韓半島の東西の海産物がどこにいても届けられるようになっている。東側はトンへ東海と言われ、西側の海はセイヘと呼ばれる。日本海と言わずにトンへと呼べ、と国際機関に働きかけているが、黄海と言わずセイヘと呼べとは中国や、国際機関に働きかけはしていない。
西海は黄海と言うのが国際的な言い方だ。この海は実際に黄色く見える。黄河が運ぶチベットの砂だ。何千キロもの距離を川が砂を運び、湾ではなく海全体を黄色く染め続けてきた。そしてそれを朝鮮半島韓半島の人々は見続けてきた。
朝鮮李朝の妃は中国から来た。朝鮮李朝の娘は中国王朝に貢いだ。朝鮮半島の人々にとって中国王朝清王朝皇帝は、日本同様長年にわたり巨大な支配者だった。
つい七十年前、私が住んでいた街は中国共産党軍によって占領されている。その街の市役所に、中国共産党の旗が立てた写真が残されている。ご存知のように中国共産党軍は停戦ラインの北緯三十八度線を南下し、首都ソウルを占領し、さらに私のいた街も占領し、南下し、釜山まであと少しというところまで侵略した。釜山に行けばわかるが、釜山からは対馬が見える。観光船も出ているし、今の対馬の観光客は韓国からの人が多いと聞く。
中国共産党軍が、九州まであと一息というその時に、日本は警察予備隊という軍事力を持った。それがのちに自衛隊と名を変えた。そぞや日本の首脳は冷や汗をかいたことだろう。時の首相は急遽渡米し、大統領に軍備保持の了解をとっている。日本の若者は、また戦争か、と厭世観をもったそうだ。
さてこの寿司屋。実に不思議な握り方をする。シャリを4本指に横向きに並べ、そこに刺身を乗せ、4本指でグーをつくるのだ。そしてパーにすると握り寿司が出来上がって客の前に出てくる。片手で握る。
こんな握り方は初めて見た。シャリの味はまあ日本に近い。山葵も本物。
握り方だけが違う、と言う実に不思議な寿司屋だ。
ヒラメも鮪も実にいいものだ。種類が少ないのが難点だが。
この寿司屋のオヤジ、こちらの二軒目についてくるという。カラオケ屋で飲むこととなった。片付けは従業員に任せ、割烹着を脱ぎ捨て一緒についてきた。韓国は飲食店の客と従業員は友達のような付き合い方をする。同伴アフターとは違う。純粋な友情関係だ。
このオヤジは私の仲間とよくそうやって飲むらしい。いろいろ話を聞けた。なんと、日本に行ったことはないという。なんとなく見よう見まねで寿司を握るようになったという。器用な人だ。
翻訳機を使い私にいろいろ質問をする。実に好奇心旺盛な人で、日本人と話がしたかったそうである。それが私をここに来せた理由だった。
日本の寿司と味が違うか、と聞く。魚の仕入れが難しいという。海苔は輸入に頼っているとも言った。もし日本に来たら、銀座の寿司屋に連れて行ってあげるよ、などと話したが本当に来る可能性はある。
それがコリアンスタイルだ。