前述したが、韓国に行って困るのは外見から何料理屋かわからないことだ。

 

文字はハングルのみになってしまったし、店舗外側のデザインはどこの店でも同じだし、中を覗き込んでもよくわからない。

客は皆板敷に胡座をかいてすわり、座卓の上の金属製の皿を食器とし、やはり金属製の箸で食している。どこでもだ。

肉を焼いているとか、鍋をつついいているとか見えれば何屋だか分かるのみだ。

 

気の利く店では、看板に河豚や鰻などの絵が描かれているのだが、どうもこれは韓国人にとって新しい食材なようだからだ。

勘ぐれば、ハングルは表音文字なので同音異義語が多いからのやり方なのだろうか。鰻も河豚も、どちらでも一音節くらいの簡単な言葉だ。

 

ほんのたまに寿司屋やイタリアンなどの店もあるのだが、これだけは外観ですぐにわかる。なぜなら、アルファベットや漢字が看板にあるし、店の内外装の意匠が少しだけ違うからだ。寿司はほとんど回転寿司だ。

異文化が外からわかるようになっている。これは珍しい。

 

ピョンヤンリョンメン平壌冷麺というものがある。冷麺は色々なスタイルがあってその中の一つで、一番有名なものだ。日本ではあまりお目にかかれない。韓国でも冷麺屋は多いが、平壌冷麺と称する店は少ない。

この間、韓国の大統領が平壌に行くという歴史的な場において振る舞われた昼食が平壌冷麺だった。

本場の平壌に大統領が来たから、本場ものの冷麺でおもてなしをする、という歓待を受けたわけだ。この麺は、蕎麦粉が入っている。若干グレーがかっている麺だ。

この大統領は美味しいともまずいともコメントは残さなかった。まあわかる、政治家である。

 

しかしこの大統領は韓国のインテリたちには人気があった。大統領に当選した当初は特にそうだった。どこの国でもインテリは左寄りなのである。

 

ちょうどその大統領が当選した直後、私が韓国にたまたま用事で行き、韓国のインテリたちは興奮していたのを知っている。

今度お前が韓国に来た時は俺の車で平壌に行けるぞ、と言われた。

実に嬉しそうだった。

南北統一が彼らの悲願なのだ。親戚だって分断されているのだ。

 

あいつは、ひょっとして平壌に親戚でもいるのかもしれないな、という思いが頭をかすめたが、こういったデリケートな話はしないのが礼儀だ。いろいろ難しい問題を抱えている。その問題は今ここにいる当事者では解決できないことをお互いに知っているからこそ深い会話にはならない。

 

韓国で色々なインテリ達と付き合ったが、彼らは皆優秀でよく様々なことを理解している。日本留学経験者も多い。官僚たちも優秀な人が多い。と、ここまでは日本と似ている。あ、政治家がどうしようもないのも同じか。

 

違うのは、韓国ではマスコミの質が低いことだ。理由はマスコミが多すぎることだと思う。日本のマスコミも決して質が高いとは言えないが、マスコミの数が少ない。日本の大手マスコミが何社あるのかは数えられる。韓国は違う。やたらとマスコミが多い。したがって記者のレベルが低くなる。

韓国のマスコミの数がこれほど多いのは政治の歴史が複雑だからだ。軍事政権の時からの保守系もあれば、プロパガンダから、革新系も古いのから新しいものまで、実に様々だ。

 

さらに民族系というのもある、これがしきりに反日記事を書く。そして日本の反韓マスコミはこの記事を翻訳して記事にしているわけだ。韓国はこんなことを言っている、と日本の右寄りの人をあおる材料になるわけだ。韓国の右のマスコミと、日本の右のマスコミが、裏で手を結ぶわけだ。

この図式は全世界共通だ。

 

上記の、民族系マスコミというのが近年はばを効かせてきて、初めて漢字のない新聞を作った。しかも横書きで。これが今日の韓国マスコミ文化の先鞭となっている。今の韓国の新聞は、この新聞を模して、すべて横書きで、漢字は一切使われなくなっている。

 

さらに、翻訳のまずさがある。韓国語の翻訳が明らかにおかしい。普通の日本語に背使わないことばを平気で訳文にしている。直訳なのだ。だから言い方が強くなる。そんな言い方しなくてもいいだろう、というわけになる。なぜリライトしないのだろうか。あえてやっているのでは、と勘ぐりたくなる。

 

さて、その後、その大統領は労働者側に多くの力を注ぎ込んだため、大きな支持母体の支持を失い失脚した。がこの大統領が「普通に」辞めた韓国の初代の大統領である。この北韓フッカンとの友好に力を入れた大統領の一派はいまだ政府周辺に残り、現政権はその残党を排除している。

 

韓国の民主化がなされて五十年。やっと韓国も保守と革新の「対立」がおきてきている。

 

日本と韓国の近くて似ていていながら少し違うことへの反目、偏見はいつになったら氷解するのだろう。

一説では二百年かかるともいわれている。

 

まだやっと三分の一がすぎたばかりだ。