鉄道が出来始めて間もなくの頃、駅前にはまず蕎麦屋ができたという。

 

幹線鉄道ではなく、支線や、私鉄ができ始めたときの話であろうと推測する。なぜなら、幹線鉄道は形成された街と街を結ぶために作られたからだ。支線や私鉄は山野を開発し、鉄道を敷設し、駅ができた。ということはそこから街が形成されるということだ。

街が先か、駅が先かということは地政を知る上で重要なことでもある。

 

さて、蕎麦屋は、醤油と蕎麦粉さえあればできたという簡便な商売だったという。

もちろん、鍋や釜だ、食器だというものは必要だろうが、たしかに醤油と蕎麦粉は重いし、大量に消費する。

 

駅前に店を作り、蕎麦を売ればそれで食えたわけだし、そういった需要があったということなのだろう。

確かに今でも、どこかの未知の駅に着いて、さてここでなんか軽く食べておこうか、といえば蕎麦屋にいくだろう。

つまり駅前に蕎麦屋があるわけだ。

いまだに全国の駅には立ち蕎麦屋があるのはその名残だろう。元祖ファストフードである。

 

なるほど、蕎麦屋は駅の発展とともに拡大されていったのか。

駅前に喫茶店があり、じゃあそこで待ち合わせを、というのはそのずっと後になる。

 

 

最近その蕎麦屋の店数が激減しているという。

県によっては半数以下になったという。

その理由のほとんどは、後継者がいないということらしい。それを理由に廃業した老舗蕎麦屋はいくつか知っている。

 

しかし、理由はそんな簡単なことではあるまい。

もっと奥の深い話だろう。

 

もし後継者不在だけが原因であるならば、他の職種も減っていなければならない。

確かに小売業は激減しているが、この理由には後継者がいない、ということは寡聞にしてない。

 

しかも盛業中の蕎麦屋は多くある。寒空の中、行列までしている。

じゃあ蕎麦屋で味の淘汰が起きたのか、と言ってもさして美味しくない蕎麦屋が盛業中だったりする。

 

不思議な現象である。