for my dear 45 | もしも君が迷ったなら

もしも君が迷ったなら

思いついた言葉を詩に。思いついたストーリーを小説に。

桐谷家長男の婚約は地元の話題をかっさらっていた。花嫁レース自体がニュースになっているので、必然的に婚約もニュースになるのだった。
ただ一つ救いなのは、洋子の計らいで婚約者が伏せられていることだった。そのおかげで莉緒は普段通りに生活できた。

そして婚約が決まって数週間後。莉緒は夏休みに入った。そして洋子の計らいで、莉緒と明子は桐谷家で住むことになった。
今までのボロアパートから、広いお屋敷に移った鈴原親子は、あまりのギャップに終始戸惑っていた。しかし明子は洋子と友情を取り戻し、莉緒も真由や爽一郎と暮らすことができて、幸せを感じていた。
莉緒の部屋は爽一郎の部屋の隣が割り当てられ、逆隣は真由の部屋だった。

「莉緒もあたしと同じ学校に来たらいいのに。」
莉緒の部屋にやって来た真由が呟く。
「真由ちゃんとこ、お嬢様学校でしょ?あたしなんか場違いじゃない。」
部屋に運ばれたダンボールを整理しながら、答える。
「そんなことないよ。」
莉緒のベッドの上でくつろぐ真由が言い返すが、莉緒は穏やかに断る。
「あたしね、今こうしてるだけでも幸せなの。そりゃ真由ちゃんと同じ学校なら楽しいだろうけど、今の学校にもたくさん友達が居て、皆大好きなんだ。あと一年半もすれば卒業で、皆とはきっと今みたいに会えなくなっちゃう。だから……。」
「分かったよ。ごめんね。ワガママ言って。……そうよね。莉緒には莉緒の友達がいるし。それにこうして莉緒と住めるだけでも十分なんだよね。」
真由の言葉に、莉緒は笑顔で頷いた。

莉緒はあの日から気にかかることがあった。
爽一郎の様子がおかしいのだ。本人はいたって普通を装っているが、どことなく遠くを見ている気がする。時々上の空になるのが、莉緒の不安を駆り立てた。
「爽一郎さん?」
顔を覗き込むと、爽一郎は我に返った。
「ん?何?」
「ずっと……ボーッとしてるけど、大丈夫?」
そう問うと、爽一郎はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。」
そう言われると、何も言えなくなってしまう。
「コーヒー……淹れようか?」
「よろしく。」
莉緒は笑顔で頷き、キッチンの方へ回った。
気になるけど、聞けない。勇気が出ない。ただ臆病なだけなんだと自分でも分かってる。だけど触れてはいけないような気がしてならなかった。
コーヒーメーカーをセットし、その間に昼間作ったクッキーを皿に盛り付ける。
対面キッチンからリビングに居る爽一郎を見やる。机の上に広がっている書類は持ち帰った仕事だろう。最近また忙しくなったようだ。心なしか顔色も悪い。何もしてあげられない自分が情けなくなる。
莉緒が仕事を手伝えるわけもないので、こうしてコーヒーを淹れたりすることしかできない。
コーヒーが入ると、莉緒はカップに注ぎ、クッキーの皿と一緒に爽一郎のところへ運んだ。
「ありがと。」
仕事モードに入っていた爽一郎が顔を上げ、微笑む。いつもと変わらぬ優しい笑顔に、心なしかホッとする。
「仕事……忙しい?」
莉緒は隣に座り、爽一郎はコーヒーを口に運んだ。
「そうだね、今ちょっと立て込んでるかな。」
「無理、しないでね。」
「ありがと。」
「これ、今日真由ちゃんと焼いたの。あんまり甘くないから、食べて。」
「うまそうだな。いただきます。」
莉緒が勧めるクッキーに手を伸ばして食べる。
「あ、うまい。」
「よかった。」
「ごめんな。」
「え?」
突然謝られ、莉緒は驚いた。
「せっかくこの家で一緒に住めるようになったのに、俺ほとんど仕事でさ。」
「ううん。」
莉緒は首を振った。
「こうやって少しの時間でも話せて嬉しいから。あたしこそ……何もできなくて……。」
「そんなことないよ。」
爽一郎は莉緒の頭をポンポンと優しく叩いた。
「莉緒ちゃんのコーヒー美味しいし、このクッキーだって美味しい。疲れも癒えるよ。」
そう言われると、何だか恥ずかしい。
「あー、そうだ。」
何かを思い出したのか、爽一郎は話を切り替えた。
「莉緒ちゃん、いつまでバイトする?」
借金返済した今、莉緒や明子は無理に働かなくてもよくなったのだった。
「あ……一応、コンビニと喫茶店は夏休み終わるまでにしたの。」
「そっか。店の方は?莉緒ちゃんがやりたいなら、今までどおりやってもらってもいいけど。」
「ホント?」
「うん。莉緒ちゃん居てくれた方が助かるんだ。莉緒ちゃんが入ってる日って妙に売上げいいしね。」
爽一郎が冗談っぽく笑う。
「えー?ホントに?」
莉緒も思わず笑ってしまう。爽一郎はうんうんと頷いた。
「じゃあ……まぁとりあえず、卒業まではバイト続ける?」
「うん。」
「よし。あ、店のヤツらには卒業まで婚約したことは内緒だから、安心していいよ。」
「うん。ありがと。」
いつの間にか、普段通りの爽一郎に戻っていたので、莉緒は安心した。