4人の子供のアラフォーママです。

こっそり続けているブログを見つけてくださってありがとうございます。


いつもは子供たちとの思い出や出来事のブログですが、本日は10年前に病気で亡くなった私の父のことを書こうと思います。


身近な方を亡くした方、

尾田栄一郎先生・ONE PIECEのファンの方、

ご気分を悪くされてしまうかもしれません。

どうか、読まずにお戻りください。

また、他のブログを書いたときに、いらしてくれたら嬉しいです。


ONE PIECEにも名言がたくさんあると思うのですが、チョッパー編で登場する『Dr.ヒルルク』の名言のひとつの次のセリフが印象的です。


「人はいつ死ぬと思う?

心臓をピストルで撃ち抜かれた時? 違う

不治の病に侵された時? 違う

猛毒キノコのスープを飲んだ時? 違う

人に忘れられた時さ」



私の父


本日は忘れたくても、忘れられない父の言葉を振り返ります。


 

父の迷言

子供の頃は父より怖い人はいないと思ってました。

そして、父は口を開くとろくでもないことしか言いませんでした。

そんな父の名言ではなく『迷言』の一部も紹介します…

需要は全くないと思うのですけどね。


星夏休みに朝の6時に起きた小学校2年生の私に…

「おまえ、起きるの遅いな、もっと早く起きろ!」

当時の父は早朝出発して、18時頃に帰宅する運送業でした。

ちなみに、夏休みの朝の6時は母も妹も寝ていました。

当時は何も言えませんでしたが、

「私だけ、ひとりで起きていてどーすんだ」

と今は思います。


星テスト

小学校頃は、比較的100点もよく取れました。

100点のテストを父に見られたら…

学校のテストで100点取ってどうすんだムカムカ。バカかムカムカうんちゃらかんちゃら…」

と、怒られます。

大きくなって母が言っていた話によると、

「私は怒られて伸びるタイプなんだ。」

と、言っていたらしい。

私はそんな変人じゃないっつーのムカムカ


星中学生のときに、京都・奈良に修学旅行に行く私に、

「銀閣寺を建立したのは8代将軍足利義光だ」

と、間違えていたので、

「8代将軍は義政だ」

と言ったら…

「おまえはバカか」

と、連発する父。

ずっと怖くて鬼か大魔王の仮の姿くらいに思っていた父を初めて、普通の人間で意外とバカだと思った瞬間でした。

間違ったことを言っている奴にバカバカ連発されて、腹が立ち思わず

「バカはおまえだ!」

と言い返したけど、聞くわけがない。

歴史の資料集を持ってくるまで、信じてくれませんでした。

私の話を聞かないので、「親にバカとは〜」みたいな注意もされませんでした。

当時の父より年齢を重ねた今となっては、歴史の知識が衰えることのみ、わからなくもない出来事です。


星高校生のときに、

「ただいまー」と、帰宅した私に、父が

「おう、わしにご飯をあげてくれ(ご飯をよそってくれ)」

と、言うので、手を洗って、ご飯をよそった私に…

「おまえ、いつまで制服着てるんだムカムカ。」

と、なぜか怒る父。

理不尽だ、納得がいかない…

「ご飯よそったからじゃんムカムカ

と、反論をしたけど、聞く訳がない。

当時は腹が立ったけど、もはや『私の父は理不尽』なネタのひとつで子供たちと爆笑しています。

当時の父は、昼過ぎに帰宅して、22時頃に家を出る運送業をしていました。


星一人称

そもそも、周りの友達と比較しても、父としてはかなり若かったのに、父の一人称が

『わし』

であることに、高校生のときに初めて違和感を持ちショックを受けました。

孫には『じーじ』と呼んで欲しかったようですが、私の父はみんなに『わし』と呼ばれています。


星宗教の勧誘で訪問してきた人に、

「神様がー、神様はー」

と、懸命に勧誘活動をされて…

「神か、わしは神だ。わしはいつでもここにいる。いつでも拝むがいい。」

と、言いきっているのに、「一向に拝みに来ない、やべぇ奴だと思っているんだろうな」と笑っていた父…。

確かに、ネタのように父は

「わしは神じゃ」

と、私たち家族に言っていた…誰も相手にしていなかったけど。

宗教勧誘をされる度に、絶対にそんなおかしなことは言えないなと、しみじみ思い出すネタです。


星私は直接言われていませんが…

新生児の長女ちゃんを見た後に

「わしの最後の孫か…(以下省略)」

と言った病床の父に、母が

「3人は子供ほしいらしいよ」

と、言ったら

「高齢すぎだろ、あいつはバカか(酷い言葉が続くので、以下省略)」

と、ボロくそに言ったらしい。

母から聞いて「バカにバカと言われたくない。大きなお世話だ。」と、もちろん騒ぎつつ、なんだかんだで爆笑しちゃう私たちでした。

ちなみに、上記の伝言が父から私への最後の言葉です。


まだまだ、迷言はいっぱいあります。

暴言も多分にあるし、長くなりすぎるので、ブログに載せるのは控えます。


日常の至るところで、理不尽・やばい発言を思い出します。

そもそも謝れないし、間違えを認められない父なので、私としては納得していないことばかりです。

そのせいか、私の中では色褪せない父との思い出です。

しかも、思い出は美化…されようがないけど、ネタっぽさというか驚きが強調されるせいか、私を通して子供たちの記憶にもしっかり残っているようです。


Dr.ヒルルクの言うように、「人が死ぬのは、人に忘れられた時」であるなら、父はまだまだ生きている気がします。

それどころか、母より長生きするかもしれません。


申し訳ないのですが、あと1回続きます。

気が向いたら、続きもご覧ください。


ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます星