行方不明の絵が見つかったとの知らせに、亡き母の故郷に帰省中の紺野小百合さんと忍さんの代わりに園田副社長が我が家を訪れたのは、『別邸 吉祥』 から戻った翌日だった。

茶菓をすすめると、「いただきます」 と律儀に手を合わせた園田さんは、嬉しそうにくろもじを手に取った。

和菓子は好物ですという顔は、お世辞ではなさそうで、扇をかたどった練り切りをせっせと口に運び、そんな園田さんを宗は満足そうに見ている。



「どうです、なかなかいけるでしょう」


「えぇ、甘味が絶妙ですね。宗一郎さんは、私の好みをよくご存じだ」



園田さんは酒も飲むが甘いものも好む、両刀遣いだよと宗に教えられ、うなずいていると、大叔母さまが懐かしそうな目をした、



「悠太郎お義兄さまも和菓子がお好きでした。お酒と一緒に、甘いものを召し上がっていらっしゃいましたよ」


「私もそうです。辛口の酒を飲みながらおはぎを食べて、妻に不思議そうな目で見られます」



先代にも、よく菓子をいただきましたと、くろもじを置いた手で煎茶碗をとり、園田さんも昔を懐かしむ目になった。



「そのじいさまの絵が、ようやくそろいました。吉祥で毎年見ていた絵が、じいさまのコレクションだったとはね。

サインを見つけたときの珠貴の顔は、宝物でも見つけたみたいだったな」


「そうですとも。おじいさまの絵は宝物です」



私の手柄ですよと胸を張った。



「『別邸 吉祥』 とは思いつかなかった。吉祥の名は知っていても、我々には縁のないところですから。

まさか、4枚も見つかったとは驚きです。賃貸料は先払いだったそうですね。探しても見つからないはずだ」



『シャンタン』 や 『割烹 筧』 からは、毎月欠かさず絵の賃貸料が振り込まれていたが、『別邸 吉祥』 は30年間の賃貸料を一括払いしていた。

その昔、松竹梅の絵を大層気に入った 『別邸 吉祥』 のオーナーが絵を買い取りたいと申し出たが、祖父の悠太郎は頑として受け入れず、長期賃貸ということになった。

今回、絵が見つかり、過去の記録をさかのぼって調べ、30年前経理を任されていた人の口から分かったことで、現在の 『別邸 吉祥』 に、当時の事情を知る者はいない。



「祖父が亡くなったあと、『吉祥』 も代替わりしています。

跡を継いだ現社長は、近衛家から借りた絵があることは父親から聞いていたそうですが」



『別邸 吉祥』 には、合計4枚の絵が預けられていた。

作者はすべて 『岬 弥生』、美術展入賞の常連の女流画家である。

『武内物流』 元会長から祖父が買い取った絵は、談話室の油絵だった。



「美術館構想は、宗一郎さんが中心になって立ち上げるそうですね」


「美術館は、じいさまの夢でした。俺たちにも美術館を建てたいと語っていました。でも、本当にいいんですか? 

じいさまが忍のために残した絵を手放すのは、じいさまの意思に反するのでは」


「援助は充分いただきました。絵の預け先のみなさまにも、快く了解していただきました。

これで悠太郎様との約束が果たせます」



美術館ができるまで絵の賃貸契約は継続する、また、これから先もずっと絵を手元に置いて楽しみたいという人は、期間限定で美術館に飾るという約束が交わされた。

できるなら美術館の館長を任せていただきたいと、園田さんは頭を下げた。



「もちろんそのつもりです。園田さん以外、考えられませんよ。

ただ、館長になっていただくのはまだまだ先です。できるなら、社長のあとを……」


「いいえ、それだけはできません。私の役目ではありません」



宗の言葉をさえぎった園田さんは、きっぱりと社長就任の断りの言葉を述べた。



「だめですか……」


「はい。近衛グループのトップは、近衛家の方が立つべきです。

近衛の名前を持った方だけがトップに立つ、それが社員の士気を高めることにもなります」


「いや、そんな過度の期待をされても……」


「宗一郎さんだからできる。いや、宗一郎さんだからこそできる、私はそう思います」



『別邸 吉祥』 で、潤一郎さんが言ったことと同じことを園田さんが口にした。



「社長や宗一郎さんを支えることこそが、私の務めだと思っています。

いまこそ副社長に就いていますが、社長と宗一郎さんのために、悠太郎様から与えられた立場と権限です。

内部の情報を集め、人事に強引に介入することもあります。正義では行えません」


「じいさまは、そんなことまで園田さんにさせていたんですか」


「言葉は良くありませんが、汚れ役も必要です」


「そうか……だから、園田さんには宮部さんの動きはわかっていたんですね」



武内物流との接触回数が増えた宮部さんを、園田さんは早くから警戒していた。



「彼は欲を持ちすぎました。私の存在が彼を刺激したため、あのような大事になりましたが」



プロパー社員の宮部さんが、中途入社の園田さんの出世を妬ましく思った結果の暴走だった。



「園田さんのおかげで、最小限の被害で済みました。

宮部さんを前に、ゴルフの話を振られたときは焦りました。ありもしないゴルフの予定ですからね」


「宗一郎さんが機転を利かせて、話を合わせてくれたおかげです。

一路君がクーガロジステックにいることを思い出したんです」


「あぁ、そういうことか。ゴルフの腕前がすごい社員というのは、一路君だったのか」


「えっ、わからずに私の話に合わせていたんですか? 宗一郎さんは大物だな」



ふっ、と小さな声がした。

大叔母さまが、小さな笑いをこらえきれないように声を漏らし、私も思わず声が出ていた。



「なんだよ珠貴まで……」


「潤一郎さんがおっしゃったことと同じですもの」


「宗さん、諦めて覚悟をお決めなさい。あなたを支える方は大勢います。心配ありません」


「そうですね……園田さん、これからもよろしくお願いします」



こちらこそと、園田さんは深く頭を下げた。



「はぁ……慣例を覆すのは容易ではないね。運命を受け入れるしかないようだ」



いまさらですがと、園田さんは前置きしてから口を開いた。



「姉は、忍が近衛家の後継者の一人にならないよう、権利を放棄しました」



前社長の忘れ形見である忍さんを、近衛の後継者にと言い出す人が出てくることを警戒したのだ。



「万が一にも、忍が近衛グループを引き継ぐ立場にならないよう、財産相続を放棄したんです」


「だから、おじいさまから譲られた絵も手放そうということですか。母親らしいお考えですね」



黙っていられず思わず口を挟んだ。



「さすが、珠貴さまはよくわかっていらっしゃる。どこまでも息子を守るためです。

おかげで忍は自由な生き方を選ぶことができました」



男性として生まれ、女性の心を持った忍さんのことを言っているのだろう。



「忍と一路君は似たような境遇ですが、彼は忍のようにはいかないようですね」



久我の叔父の息子の一路さんは、叔父に懇願されて 『久我グループ』 に入社した。

いずれ叔父の跡を継ぐことになるのだろうと、宗も私も思っている。



「忍の友人の一路君が、近衛家の縁続きだったことは驚きでしたが、これも縁。

私は宗一郎さんを支えることが使命だと、あらためて思いました」



新春の柔らかい日差しが入る部屋は暖かく、人の心もほぐれていく思いがした。

絡まりながらも人と人はつながっている。

偶然は必然であると誰かが言っていた。

その言葉をいま、私はかみしめていた。