「母として」と自分をくくりつけるときは
自分がやりたいことを我慢している時

って

言葉を読んで


"あーそうかもな"

と思った

なので
ちょっとまたウロウロして
考える


"自分もジブンを縛っているのかな?"


"母として"意識
そんなに持ってたっけ?

と思った

けどね


けど

何かをしようとする時に

"家族は、どう思うんだろう"

って
考えながら
いつも
決めてることに気づいた

"ジブンを縛ってる"

ってことじゃない?


だからって

"あなたは縛られてる、このままでは不幸よ"

とかいって
あっさりやめちゃうのもどうか



"縛りをばっさり切る"
とか
乱暴な気がするしね



大切にしたくて

"選択する時に浮かんでくるんだな"って

思う


゜縛るをやめる゜

じゃなくて
"そう考えているのね、ジブン"

って気づけることが大切なんじゃないかと思った

反対に

"縛り、ぶん投げ"は
"縛りをとかないと自分は幸せになれない"に囚われた行動のような気がする

縛ってるのは
自分の選択に気がついていたら

家族を攻撃しなくて済むんじゃないのかな

まぁ、たまにやるのも
スパイスかもぐらいに弛くしておこう

気持ちを箱に押し込むと
不感症たななって


体も心も固くなりそうだしね

そんな事をつらつら思いながら
朝家事終了

仕事にいってくる

では、また!