「テクノロジーと文化的な関係をデザインすること」~佐藤雅彦展とadtechTokyoからの学び
最終日ということで、仕事の合間を縫って、早朝から並んで行ってみた。
企画展 佐藤雅彦ディレクション 「“これも自分と認めざるをえない”展」
http://www.2121designsight.jp/program/id/index.html
そこでのメモをランダムに、まずダダッと書く。
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・展示物との対話形式(インタラクティブ)で、人間固有の”属性”をあばく
・展示への参加性、装置への行為に引き込む
・データビジュアライズの新しい試み
・人間の無意識の可視化。それが楽しいと思える世の中になっているかも
・情報洪水の時代、信じられるのは”自分”だけか?
・テクノロジーというフィルターを通して、自分(属性)を再発見しようという試み
・つまるところ、自分を違う角度で見ようという試み。その先にある感動って何だ?
・「2048」自分と自分でない境目を自分で操作して決める装置
・見た目や行為パターンの類型化を通じて、自分のランクを判断する
・シルエットを通じて、自分のアウトラインをはかれたら?という好奇心の所産
・なぜ自分は今その行為をしているのか?の科学的見地に立った解釈。
・考える対象物が、自分。だから、ある答えを探し求めようとする。ゆえに、興味がわく。
・これこそが最大のエンゲージ装置。逆にいうと、ここまでしないと人を動かせないというのか??
・「金魚が先か、自分が先か」
人は事物の中心であるという思い込みを持っている。それを金魚を使って改めて証明してみせる技
・「新しい過去」過去が可塑性をもって、自分に襲いかかる。
自分の過去がもし再編集されたとしたら、人間の生きる基盤は揺らぐ?
・「トポグラフィカル・アナロジー」やりかけのものには、人間の息遣いがみてとれる
・現代人は、”自分”にあまりにも無頓着。でもそれが人間らしさであり、自由や発展への原動力になる
・逆にいうと、自分のことを社会の方が知ってしまっている。情報化社会への警鐘
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一方で、adtech TOKYO 2010で、GoogleのMarvin Chow氏が指摘していた
「Technology + Economics + Society」
とくに、Societyの中で、”Human Behaviorを重視して、technologyとの歩み寄りを行う”。
また、電通の岸勇希氏も、”メディア/コンテンツではなく、Emotion is kingの時代”
との指摘をしていた。
この他にも色んな議論があったが、個人的には、結局はCEATEC 2010で感じたことそのままだった。
”情報がよりHumanizeされていく未来”
テクノロジーの世界に、もっと人間的な振る舞いをしてもらいつつ、人間側と融合させる。
人間側が歩み寄ってもいい。
この間に、大きなモメンタムができそうだ。
それはつまり、
:テクノロジーと人間との間に文化的な関係をデザインすること
テクノロジー(デジタル)、ヒューマン、どちらからの出発でもいい。
ただ、遊び心や楽しさというインターフェースの問題を考える時、
人間的な要素をデジタルにいかにして盛り込むかという文脈を大事にする、
すなわち、人間を出発点としてテクノロジーをデザインすべき。
過度にテクノロジーに入り過ぎると、ドツボにハマる。
誰も振り向いてくれないし、誰も受け入れてくれない。
広告やマーケティングに従事する者として、今後目指したい方向があるとすれば、
「テクノロジーと人間との間に文化的な関係をデザインすること」に帰結する。
広告業の原点ともいうべき視座。
その意味で、フィリップ・コトラー、ブライアン・ソリスが指摘していることと何ら変わらない。
伊藤直樹さんのクリエイティブと出合ってから、”身体性”という概念を目の当たりにして以来、
今日の佐藤雅彦展に行って、この方向性はある種の確信を与えてくれる。
テクノロジーとのダイナミックな掛け合い。付き合い方。
テクノロジーと会話だって出来る生活。
それはすなわち、ソーシャルな要素をふんだんに含んでいる。
やっぱ人間。
テクノロジーに過剰反応しすぎると、単なるデジタリアンになってしまう。それではダメだ。
佐藤雅彦展には、テクノロジーの中に、泥臭い強烈な人間的要素が散りばめられていた。
あの姿、あの世界観に、人は感動を覚えるはず。
一方で、だからこそ、効果測定が非常に難しい。
なぜなら、人間の気持ちをデジタル文脈で解釈しないといけないから。
従来のマーケティング指標だと太刀打ちできない。
CTR、CPA、ARPU、Imps、RT率、KPIなど、色んな指標があるが、
それは量的結果であって、質的結果ではない。
その質的結果を測定するには、その都度その都度のキャンペーン設計に拠るのだろう。
ソーシャル領域に、絶対的な測定ツールなんて、ない。
人間の気持ちは、その都度変わるからだ。
指標について、常に自分たちでもっと死ぬほど考えないといけない。
その都度、開発しなくてはならない。
ということもあり、膨大な量のこの本を読み進めるのである…
Marketing Metrics: The Definitive Guide to Meas.../Paul W. Farris

¥3,435
Amazon.co.jp
企画展 佐藤雅彦ディレクション 「“これも自分と認めざるをえない”展」
http://www.2121designsight.jp/program/id/index.html
そこでのメモをランダムに、まずダダッと書く。
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・展示物との対話形式(インタラクティブ)で、人間固有の”属性”をあばく
・展示への参加性、装置への行為に引き込む
・データビジュアライズの新しい試み
・人間の無意識の可視化。それが楽しいと思える世の中になっているかも
・情報洪水の時代、信じられるのは”自分”だけか?
・テクノロジーというフィルターを通して、自分(属性)を再発見しようという試み
・つまるところ、自分を違う角度で見ようという試み。その先にある感動って何だ?
・「2048」自分と自分でない境目を自分で操作して決める装置
・見た目や行為パターンの類型化を通じて、自分のランクを判断する
・シルエットを通じて、自分のアウトラインをはかれたら?という好奇心の所産
・なぜ自分は今その行為をしているのか?の科学的見地に立った解釈。
・考える対象物が、自分。だから、ある答えを探し求めようとする。ゆえに、興味がわく。
・これこそが最大のエンゲージ装置。逆にいうと、ここまでしないと人を動かせないというのか??
・「金魚が先か、自分が先か」
人は事物の中心であるという思い込みを持っている。それを金魚を使って改めて証明してみせる技
・「新しい過去」過去が可塑性をもって、自分に襲いかかる。
自分の過去がもし再編集されたとしたら、人間の生きる基盤は揺らぐ?
・「トポグラフィカル・アナロジー」やりかけのものには、人間の息遣いがみてとれる
・現代人は、”自分”にあまりにも無頓着。でもそれが人間らしさであり、自由や発展への原動力になる
・逆にいうと、自分のことを社会の方が知ってしまっている。情報化社会への警鐘
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一方で、adtech TOKYO 2010で、GoogleのMarvin Chow氏が指摘していた
「Technology + Economics + Society」
とくに、Societyの中で、”Human Behaviorを重視して、technologyとの歩み寄りを行う”。
また、電通の岸勇希氏も、”メディア/コンテンツではなく、Emotion is kingの時代”
との指摘をしていた。
この他にも色んな議論があったが、個人的には、結局はCEATEC 2010で感じたことそのままだった。
”情報がよりHumanizeされていく未来”
テクノロジーの世界に、もっと人間的な振る舞いをしてもらいつつ、人間側と融合させる。
人間側が歩み寄ってもいい。
この間に、大きなモメンタムができそうだ。
それはつまり、
:テクノロジーと人間との間に文化的な関係をデザインすること
テクノロジー(デジタル)、ヒューマン、どちらからの出発でもいい。
ただ、遊び心や楽しさというインターフェースの問題を考える時、
人間的な要素をデジタルにいかにして盛り込むかという文脈を大事にする、
すなわち、人間を出発点としてテクノロジーをデザインすべき。
過度にテクノロジーに入り過ぎると、ドツボにハマる。
誰も振り向いてくれないし、誰も受け入れてくれない。
広告やマーケティングに従事する者として、今後目指したい方向があるとすれば、
「テクノロジーと人間との間に文化的な関係をデザインすること」に帰結する。
広告業の原点ともいうべき視座。
その意味で、フィリップ・コトラー、ブライアン・ソリスが指摘していることと何ら変わらない。
伊藤直樹さんのクリエイティブと出合ってから、”身体性”という概念を目の当たりにして以来、
今日の佐藤雅彦展に行って、この方向性はある種の確信を与えてくれる。
テクノロジーとのダイナミックな掛け合い。付き合い方。
テクノロジーと会話だって出来る生活。
それはすなわち、ソーシャルな要素をふんだんに含んでいる。
やっぱ人間。
テクノロジーに過剰反応しすぎると、単なるデジタリアンになってしまう。それではダメだ。
佐藤雅彦展には、テクノロジーの中に、泥臭い強烈な人間的要素が散りばめられていた。
あの姿、あの世界観に、人は感動を覚えるはず。
一方で、だからこそ、効果測定が非常に難しい。
なぜなら、人間の気持ちをデジタル文脈で解釈しないといけないから。
従来のマーケティング指標だと太刀打ちできない。
CTR、CPA、ARPU、Imps、RT率、KPIなど、色んな指標があるが、
それは量的結果であって、質的結果ではない。
その質的結果を測定するには、その都度その都度のキャンペーン設計に拠るのだろう。
ソーシャル領域に、絶対的な測定ツールなんて、ない。
人間の気持ちは、その都度変わるからだ。
指標について、常に自分たちでもっと死ぬほど考えないといけない。
その都度、開発しなくてはならない。
ということもあり、膨大な量のこの本を読み進めるのである…
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