食べているのに、足りない
——現代の隠れ栄養失調と、土壌という根っこの問題
「食事はちゃんと取れています。栄養は取れていると思います」
——薬局の窓口で、この言葉をよく聞きます。
でも体調は優れない。
その矛盾の中に、現代の食の本当の問題が潜んでいます。
薬局の窓口で感じるジレンマ
体調不良を訴える患者さんに、栄養の話をすることがあります。
耳を傾けてくださる方には、いくつかのポイントをお伝えすると「なるほど」と納得していただけます。
でも多くの場合、最初にこう言われます。
「食事はちゃんと取れています」 「野菜も食べています」 「栄養は取れていると思います」
特に女性に多い。
その言葉を否定したいわけではありません。
でも薬剤師として、その言葉の裏にある現実を正直にお伝えしなければならないと思っています。
食べていることと、栄養が届いていることは、必ずしも同じではないのです。
伝えたい。
でも伝わらない。
そのジレンマを抱えながら、だからこそブログに書くことにしました。
「食事は取れています」の落とし穴
三食食べている=栄養が取れている。
野菜を食べている=ビタミン・ミネラルが取れている。
料理している=健康的。
これらは一見正しそうに見えて、現代においては必ずしも成り立ちません。
カロリーは足りている。
でもミネラルが足りない。
タンパク質は食べている。
でも消化・吸収できていない。
野菜は食べている。
でもその野菜の栄養素が、数十年前と比べて大幅に減っている。
食べているのに、足りない。
これが現代の隠れ栄養失調の正体です。

現代野菜の栄養素は確実に減っている
農林水産省や文部科学省の食品成分表を比較すると、数十年前と現在では野菜のビタミン・ミネラル含有量が明らかに低下しています。
多くの野菜で同様の傾向が見られます。
見た目は立派で、色も鮮やか。
でも中身の栄養素が薄くなっている。
同じ野菜を食べているつもりでも、摂れている栄養素の量は昔とは全く違うのです。
なぜ栄養素が減ったのか——農業と土壌の問題
ここに、現代農業の深刻な問題が関わっています。
農薬による土壌生態系の崩壊
農薬が散布されると、虫が減ります。
虫が減ると、虫の死骸という有機物が地中から失われる。
微生物も死滅していく。
土壌の中には本来、無数の微生物が生きています。
その微生物が有機物を分解することで、植物が吸収できる形のミネラルが生まれる。
微生物なくしては、土の中にミネラルがあっても植物に届かない。
農薬はその土壌生態系を根底から壊してしまいます。
連作による土地の疲弊
同じ作物を同じ土地で作り続けると、土地はますます痩せていきます。
かつては田畑を休ませ、輪作することで土地の力を回復させていた。
でも効率・収量を優先する現代農業では、その余裕が失われています。
化学肥料の限界
化学肥料は窒素・リン・カリウムという三大栄養素を補います。
それによって作物は見た目上立派に育つ。
でも微量ミネラルは補えない。
カルシウム・マグネシウム・亜鉛・鉄・セレン——これらは化学肥料では補いきれないのです。
品種改良と周年栽培
見た目・収量・日持ちを優先した品種改良、旬を無視した周年栽培、収穫後の長距離輸送と長期保存
——これらすべてが、栄養素の低下に拍車をかけています。
虫・菌を嫌うことの代償
ここで、現代の大きな問題に触れたいと思います。
現代人は虫や菌を極端に嫌います。
除菌・抗菌・殺菌
——コロナ以降さらに加速した「菌は敵」という意識。
畑に虫が一匹いただけで大騒ぎになる。
無菌・清潔が正義という価値観が、農業にも生活にも深く根づいています。
でも、立ち止まって考えてみてください。
健全な土壌1グラムの中に、数億から数十億の微生物が生きています。
その微生物の多様性こそが、土壌の豊かさの正体です。
虫は土壌の有機物を分解し、土を耕し、植物の受粉を助ける。
虫も菌も、土壌生態系の欠かせない担い手です。
虫や菌を嫌うがゆえに、体に悪い物質を撒き散らかすことに躊躇わなくなる。
「これだけで解決」という安易な農薬・薬品への依存が生まれる。
でもその「解決」が、土壌の生命を絶ち、栄養素を奪い、回り回って人の体を蝕んでいく。
人の体も同じです。
菌を嫌うがゆえに除菌・抗菌・抗生物質を多用する。
でも腸内細菌が死に、免疫が弱り、さらに菌に弱い体になっていく。
幼少期に適度に菌・虫・土に触れることで免疫系が正しく育つという「衛生仮説」は、今や医学的に広く認められています。
過度な清潔志向が、アレルギー・自己免疫疾患の増加につながっているという現実があります。
菌は敵ではありません。何億年もの進化の中で、人も土も、菌とともに生きてきました。
日々の手入れを怠るということ
もうひとつ、大切なことをお伝えします。
虫・菌を嫌い、安易な薬品に頼る背景には、日々の手入れを怠る傾向があります。
農薬を一度撒けばしばらく楽になる。
除菌剤を使えば掃除が簡単になる。
薬を飲めばすぐ楽になる。
「これだけで解決」という思考は、日々の小さな手入れを後回しにすることと表裏一体です。
でも発酵食品を仕込んでいると、よくわかります。
糠床は毎日手を入れて、空気を送り込み、微生物のバランスを整えることで育ちます。
味噌は仕込んだら基本的に待ちますが、定期的に様子を見て、カビが出ていないかチェックしたり、熟成を見守る。
梅干しは土用干しのタイミングを見極める。
醤油麹・塩麹は時々混ぜる。
触りすぎてもいけない。放置しすぎてもいけない。
適切な関わり方と、日々の手入れの積み重ねが、発酵を豊かにする。
土壌も同じです。
農薬で一気に解決しようとするのではなく、微生物を育て、有機物を補い、休ませる——日々の手入れが豊かな土壌を作る。
体も同じです。
毎日の食事・睡眠・体を動かすこと・自律神経を整えること
——特別なことではなく、日々の手入れの積み重ねが健康を作る。
土も・発酵も・体も。日々の小さな手入れなしには、本当の豊かさは生まれない。
人の排泄物と農業——断ち切られた循環
少し深い話をさせてください。
かつて人の排泄物は、農業の循環の中に還っていました。
人が食べ、排泄し、それが土に還り、また作物を育てる。
完璧な循環でした。
江戸時代の江戸は、世界最大級の都市でありながら、驚くほどクリーンな都市だったと言われています。
人の排泄物が農業資源として価値を持ち、農村との間で循環していたからです。
では現代人の排泄物は、果たして農業に使えるのか。
バランスを崩した腸内環境から生まれる排泄物、化学薬品・添加物が溶け込んだ排泄物
——それらを農地に還すことは、もはやできません。
人の体の不健康が、土壌の不健康に直結している。
循環が断ち切られたとき、人も土も、同時に痩せていく。
ミネラルが土から消え、野菜から消え、人体から消える。
腸内環境が乱れ、排泄物の質が落ちる。
農業に還せない。土がさらに痩せる
——この悪循環は、実は一本の糸で繋がっています。
特に女性に深刻な理由
隠れ栄養失調は、特に女性に多く見られます。
月経による鉄の喪失が毎月繰り返される。
食事量を減らしがちで、そもそも摂取量が少ない。
「野菜中心=健康」という思い込みによる、タンパク質・良質な脂質の不足。
ダイエット志向による極端な制限。
鉄・亜鉛・マグネシウム・ビタミンD——これらが不足すると、疲れやすい・冷える・眠れない・肌が荒れる・気持ちが落ち込む
—という症状が現れます。
でも多くの女性はその状態を「当たり前」として受け入れてしまっている。
「なんとなく不調」の根っこに、隠れ栄養失調があることは、決して珍しくありません。
農家さんも、構造の中にいる
農薬・化学肥料・連作
——これらの問題を語るとき、農家さんを責めたいわけではありません。
経済的な現実・効率化の圧力・価格競争の厳しさの中で、農家さんもまた構造の犠牲者であることが多い。
以前お伝えした「農家さんへの敬意」は、ここでも変わりません。
問題は個人ではなく、システムにある。
だからこそ、できる範囲で旬のものを選ぶこと、地元の農家さんを応援すること、オーガニックや自然農法に取り組む生産者を知ること
——消費者の選択が、農業のあり方を少しずつ変えていく力になります。
選ぶ力を持つことが、誠実に作る人を守ることになる。
では、どうするか——今日からできること
難しく考えなくていい。
できることから、緩やかに始めることが大切です。
旬のものを選ぶ
——旬の野菜は栄養素が最も豊富で、価格も安い。
季節を感じながら食べることが、最も自然な栄養補給です。
発酵食品を取り入れる
——発酵のプロセスが栄養素の吸収率を上げ、腸内環境を整える。
味噌・糠漬け・納豆——日本の伝統食がここでも力を発揮します。
ミネラルを意識的に補う
——天然塩・海藻・小魚・ナッツ・種子類。
土壌から失われたミネラルを、意識的に食卓に取り戻す。
できる範囲で素材に近いものを選ぶ
——加工度の低いもの、産地のわかるもの、作り手の顔が見えるものを。
日々の小さな手入れを大切にする
——特別なことをするより、毎日の食事・睡眠・体を動かすことの積み重ねが、体を育てる。
完璧にしようとしない
——知ることは大切。
でも怖れから選ぶのではなく、安心から選べるようになることが目標です。
食べているのに足りない——その現実を知ることが、本当の意味での食の見直しの出発点です。
では同じ栄養素でも、天然のものと化学合成されたものでは、体への届き方が全く違うという現実があります。
次回は「サプリはぼったくりですか?」という問いから、吸収率の真実に迫ります。


