家族の家事分担について 〜終章〜
積み上げてきたもの
買い物、掃除、片付け、洗濯、育児。ここまで一つずつ見てきました。
外注すればいくらかかるか、食事だけで月36万円。
掃除、片付け、洗濯にも、それぞれ金額に換算できる労働費と、
金額では測りきれない判断や技術がありました。
育児にいたっては、ベビーシッターを一人雇えば月26万〜44万円という、
それ自体が大事業と呼べる価値を持つ営みでした。
これだけの価値を、多くの家庭では誰か一人が無償で、
しかも同時並行でこなしています。
飲み会の5,000円は気軽に払えるのに、家庭を丸ごと支えるこれだけの労働は「当然のもの」として扱われてしまう。
この矛盾に気づくことから、このシリーズは始まりました。
「男性が養う」は、分業に過ぎなかった
「男性が家族を養う」という過去の常識は、男性一人がすべての労働を背負っていたということではありません。
実際には、外で稼ぐ役割と、家庭内を回す役割という分業が、たまたまそういう形を取っていただけです。
どちらも家族を支えるための労働であって、
一方がもう一方より偉いわけでも、
一方だけがすべてを背負っているわけでもありません。
この理解があれば、「稼いでいるのは自分だから偉い」という発想自体が、そもそも成り立たないことが分かります。
女性の賃金には、カラクリがある
女性の労働に対する賃金設定が低くなりがちな背景には、
いくつかの構造的な要因があります。
看護・保育・介護など女性が多く従事してきた職種そのものの賃金水準、
出産・育児での離職や非正規雇用への移行、
年功序列型の評価制度とブランクの関係、
「家計を支えるのは男性」という前提が組み込まれた企業文化や税制。
これは、「男性が養い、女性が家庭を守る」という前提が、
社会制度・賃金体系にまで組み込まれてきたからこそ、女性の労働が正当に評価されず、
賃金にも反映されてこなかった、というカラクリです。
それでも、女性の労働は柔軟だった
一方で、女性の労働は「柔軟性」という独自の価値を持っています。
出産・育児・介護といったライフイベントに応じて、働き方を柔軟に変えられる。
家庭内労働と外の労働、両方を状況に応じて配分し直せる。育児だけでなく、先の見えない介護という長期化しやすい役割にも、その柔軟性で応え続けています。
ただし、この柔軟性は「だから賃金が低くても仕方ない」という話にすり替えられてはいけません。
柔軟性は独自の価値であり、正当な対価を得られない理由にされるべきものではないのです。
専業主婦は、常に柔軟に応じ続ける担い手
「専業主婦」という言葉は、時に「働いていない人」というニュアンスで軽んじられがちですが、
実際には家族のニーズに応じて、育児・介護・家事まで、柔軟に配分し続ける担い手です。
固定の役職や業務内容がないからこそ、状況に応じて何にでもなれる。
今は、家計費が賄えないなら専業主婦は価値を生んでいない、というような見方もされます。
でもこれは、"働く"を外の収入労働だけに限定した、狭い定義から生まれている見方です。
家事・育児という労働を、外注すれば数十万円かかる価値ある仕事として認識できたなら、
専業主婦もまた立派に働いている人だと言えます。
それが夢ではなく当たり前になる日を、このシリーズを通して願っています。
混同してはいけない、別の話
ここで一つ、区別しておきたいことがあります。
裕福で、家事は全部外注し、収入源も別にあって働かない、という人も世の中にはいます。
でもこれは、家事・育児という労働そのものを無償で担っている専業主婦とはまったく別の話です。
「労働をしているかどうか」と「収入があるかどうか」は、実は別々の軸なのです。
監視されないことは、自由ではない
多くの専業主婦は、誰にも労働を監視されません。
でも365日、休みなく働いています。「監視されないから自由でいいじゃん」という見方には、違和感があります。
会社員は勤務時間や成果を管理される代わりに、休みや勤務の境界がはっきりしています。
専業主婦は誰にも管理されない代わりに、いつ何が起きても対応する立場にあります。
子どもが夜中に体調を崩せば対応し、休みたいと思っても、家族の食事や身の回りのことは待ってくれません。
それは自由というより、常に待機している状態に近いのです。
専業主婦は、仕事のレベルを自分で決められ、調整できるという意味では、個人事業主に近い存在です。
誰かに指示されるのではなく、自分でタスクの優先順位を決め、スケジュールを組む。
ただし個人事業主と違って、休業するという選択肢が実質ありません。
そして何より、個人事業主なら工夫や努力次第で売上そのものを増やせますが、
専業主婦は、どれだけ工夫して家事や育児のレベルを上げても、
世帯に入ってくる収入の枠を自分では動かせません。
裁量はあっても、権限は自分の外側にあるのです。
働けば時間を失う
働きに出れば収入は得られますが、
その分家庭にかけられる時間は減ります。
家にいれば時間はありますが、収入の天井は自分では動かせません。
どちらを選んでも、何かを差し出さなければならない。
これは、誰もが直面する根本的なトレードオフです。
だからこそ、
「専業主婦は自由でいいね」も
「働けば全部解決する」も、
どちらも一面的な見方に過ぎません。
どちらの立場にいる人も、お互いの失っているものを想像し合う必要があるのだと思います。
楽しくやりがいのあることで、収入が得られたら
一番いいのは、楽しくやりがいのあることで収入が得られることです。
そんな働き方を目指す人が、今どんどん増えています。
副業、フリーランス、在宅ワーク、オンラインでのスキル販売
——好きなこと・得意なことを軸に、時間の融通も利かせながら収入も得る。
これは、「収入か時間か」という二択そのものを崩そうとする、希望のある動きだと思います。
家事は、深遠なものだった
洗濯機に入れてボタンを押すだけ、
そう思われがちな家事の一つひとつに、実は素材・汚れ・天候・判断疲れ・思考のノイズといった、
見えない深さが積み重なっていました。
家事が「誰でもできる単純作業」ではなく、経験と判断の蓄積でできている深遠なものだと理解できたなら、
パートナーが日々こなしていることの重みも、自然と見えてくるはずです。
逆に、この深さを理解できないままでいると、
家族が積み上げてきた時間や労力を、簡単に軽んじてしまうことになります。
浮気やギャンブル、一人だけの時間の使い方に明け暮れることが、なぜ信頼を損なうのか。
それは、家族が日々積み重ねている小さな営みの価値を、
まるごと無駄にしてしまう行為だからなのだと思います。
誰も無理をしない仕組みへ
家族全員が外で働きに出る時代に、「誰か一人が無償で家事を担う」という前提はもう成り立ちません。
外注に頼りすぎれば、稼ぐために働き、家庭内労働はさらに手薄になり、またお金が要る、という無限ループに入ってしまうこともあります。
だからこそ、家族のニーズを素早く捉え、誰もが家事を担える仕組みを作ること。
ただし、その仕組みの中で誰か一人でも無理をしていれば、いずれサイクルは閉じてしまいます。
目指すべきは、「誰もが担える」ことではなく、「誰も無理をせずに回せる」ことでした。
小さなことの積み重ね
信頼と感謝のある家族、苦労を労い合い、リスペクトし合える関係。
それは、大きな決意や制度から生まれるものではありません。
「今日も洗濯物ありがとう」「今週は掃除代わろうか」「これ、判断に迷ってる」
——そうした本当に小さな一言、小さな気遣いの積み重ねから生まれるものです。
愛と信頼は、報告・連絡・相談という日々のコミュニケーションを通して、少しずつ具体的な形になっていきます。
家庭という土台
外から収入を稼いでくる人が偉い、という時代ではもうありません。
子どもたちが健やかに、自分らしく生きていくための土台は、家族であり、家庭そのものです。
その土台を支えているのは、外に出て稼ぐ労働だけではなく、
食事を作り、掃除をし、片付けをし、洗濯をし、育児をする、・・・これまで見えなかった労働でもあります。
その両方に、同じだけのリスペクトを払うこと。
家事という小さな営みの深さに気づき、お互いを労い合えたなら、
そこにはきっと、素晴らしい家庭が築かれていくのだと思います。
まあ、十人力みたいなパワフルな女性に出会えば、この話も別次元になるんでしょうけどね。
いっぱい稼いで、自由に遊ばせてくれる人に出会ったら、それは大切にしないといけない。
縛れば、逃げていくものですから。
今巡り合った家族を大切に。





