フリージャズについて(2)


自分の主張においてのフリージャズである。


自分で自分はフリージャズをやっていると思えば、それはそれでフリージャズなのだ。

まずは、合宿が無事にとは言わずに終了したのである。


薫ちゃん(部長)が胸を打撲したのである。


たいしたことは無いと思います。でも、お大事に!


関工との力の差を感じたのだ。


このままじゃ危ない。


田中君に負けそうなのだ。


彼に負けるとインターハイへはいけなくなるのだ。


なんとかせねばならない。


以上合宿報告なのだ。



僕は、明日休みなのに、温泉芸者殿は1日練習の最中なのだ。


つまらないのだ。


しかし、仕方ないのだ。何とか頑張って一緒に中国大会に行きたいのだ。


何とか頑張ってね。


俺は、今日はとてもつかれているのだ。


とうてい遊ぶ気分にはなれないのだ。


どうだ、まいったか。


まいったところで、あ、このやろう、笑うなよ。


いまからの練習は、いちだんと厳しいものになるのだ。


心してかからねばならない。


あ、また、笑ったな。


なに、うん、そうか、よしわかった。


それじゃあな。


温泉芸者に電話しといてくれよ。


え、そうそう、見舞い電話だね。


しかし、朝8時からはきついんじゃないかなぁ。


それじゃあね、さようなら。


フリージャズについて(1)


最近、なにをしてフリージャズと呼べるのかわからなくなった。


そりゃあ、山下洋輔トリオや生活向上委員会、また、明田川荘之などを聞くと、これはフリージャズだなと確認することができる。


確認はできるが、なぜ、フリージャズなのと、思うのである。


フリージャズというからには、フリーなのである。


今までのコード進行や、モードについては、一切無視なのである。


なのに、聞いているとジャズに聞こえてくる。


山下さんなんか、ひじうちを使ってコードをあらわすことがよくある。


このコードは当然むちゃくちゃである。


そのはずなのに、聞こえてくる音はジャズなのである。


そもそもジャズとはなんなのであろう。


なにをしてジャズと決めているのであろうか。


やはり、コードの種類、その進行のしかたであろうか。


それならば、それらを無視すればジャズではないのではないだろうか。


つまり、フリージャズはジャズではない。


このように結論される。


つまり、断定されたのである。


断定してにも関わらず、私は、フリージャズはジャズであると思っている。


思っているのであって断定はしていない。