治療の段階で何回かズドーンダウンと落ちた事がある。




本当に大きいのが波波波は数回。  小さいの波波は数えらんないや(ーー;)








そのうちのいくつかを…




〈1個目〉




1回目と2回目の手術が終わってから。




術後、痛みが出て来て苦しかった。




ホンとは当日帰ってもいい手術だったのに、まさか再手術になるとは…




そして、2回目の手術が終わった。




疼痛緩和の為に薬剤投与が、内服、点滴、様ざま始まり、身体はぼろぼろになった。




まさしく『ぼろぼろ』。この一言に尽きる。




吐き気、嘔吐、倦怠感、脱力、、、あげればきりが無いような、歩く事なんて勿論できず、体位変換しただけで、嘔吐しているような状態だった。




身体は、つらい。




痛みはとれない。




どうして?どうして?と自問していた。




2ヶ月位そんな状況がつづいた。






この泥沼から救ってくれたのは、ある先生の1言だった。




もともとの持病の為、複数の科を大学で受診していたが、入院してから始めてのその先生の診察で、




今までの状況を聞いてくださり、





『それは大変でしたね。よくがんばりましたね』




って言って下さった。




正直、だれもそんな事言ってくれる人はいなかったので、涙があふれそうになった。




なんか自分がダメで、こんな状況になってしまっているような感覚に陥っていたので、そんなやさしい言葉に救われた。










〈2個目〉




実は最初の入院したあと、退院してからは結構バリバリ仕事した。




患者さんと向き合っているときは、痛みを忘れられる様な気がしたから。




勿論、痛みがひどくて救急外来に主治医を呼んだりした事もあったが(いや、多々あった…あせる




そのうち、痛みがまぎれるときが無くなってきた。




それでも、仕事をせざるえなかった。




主任になって、1つのセンターを面倒見なければならず、かつ後輩を育てなければならず、




患者、病院、先生、センター、後輩、これらを一人で見ていて、身体は悲鳴を上げそうだった。




そして、入院病院になった。




入院してからは、治療が思いのほか効果はでなくて、私も先生も困っていたように思える。




そんな時先生から、




『残念ながら、自分たちで思いつく治療はすべてやったよ。今のままでは治す事ができないんだ。自分たちがやった手術でこんな風になってしまったのに申し訳ないけど…』




と、こんなことを言われた。




頭の中の照明が、ばちばちばちーっと消えていくような思いだった。




2回目の治すすべ、無い宣言で、正直荒れた。ほんと、荒れた。小灯台はひっくり返したし、時計もぶん投げて破壊。悲惨だった。(こんだけ、物質的に荒れたのは始めて。←ナサケナイ(→o←)ゞ




その心が上昇アップしたのは、今の先生に会ったのが大きい。




『若いのだから、このままじゃいけない、治さなきゃダメだよ。治しましょう!』




って言ってくれた。




先生の過剰なまでの自信って、時に怖い時もあるけど、このときはこの先生の言葉がうれしかった。




治しましょう!って言ってくれたのはこの先生だけだったから。








まだ、いくつかのおおっきな『大爆弾 爆弾 爆弾爆弾 爆弾 』もあったが、また別の機会にでも。










↑上に出た先生とは、どの先生にも今でも診てもらっている。




なすすべ無い宣言先生も勿論、みなさんとても大事キラキラな先生だ。




縁あって診ていただいている先生方には感謝ブーケ1している。