最近、めっきり寒くなってきた。
移り行く季節を肌で感じながらも、
どこか取り残されている感がる。
はじめに手術をしたあの季節から、進んでないのではないか、
仕事を辞め、社会から置いてかれ、
なんとも言い難い不安を感じる。。
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そう、寒くなった話だ。
やはり、調子が悪くなってきているように思う。
痛みが増しているように思う。
若干、効いていた様に思える薬も、その効果が感じなくなってきた。Y(>_<、)Y
リハもきつい。
以前、治療のゴールについて書いたが、
それに含まれるリハビリ。そのゴールも見えない。
私は、今のリハの先生で2人目。
最初の先生は、最初の手術の後から、ずーっと診てもらっていた。
それこそ、ささくれていた時は話を聞いてもらい、
体調の悪い時は我儘もずいぶんきいてもらった。
そして何より、患部(手)へのアプローチが抜群だった。
つぎからつぎへと、私に効果のありそうな訓練を提案し、行なってくれた。
Drともびっくりするくらい(本当に)意見を交わしているのも、分かった。
こう言ったら失礼かもしれないが、勉強して向かってくるのが伝わった。
今までの多大な経験がある上に、さらに上に上にと行っているのが分かった。
この頃は神経の切断は考えていなかった。
SCSを使いながらだったが、痛みのコントロールが見えてきた頃だった。
アロディニアの患部の圧痛刺激にも先が見えそうだった。
術後、Drも、もちろん自分自身でも、触れる事も無くなっていた患部を、
最も触って、
変化を感じ取っていたのはリハの先生だった。
半ば半信半疑だった、リハビリでのCRPSの回復(改善?)も、もしや!?って思えていた。
ところが、諸事情で先生が変わってしまった。
決して、次の先生が悪いわけではなかった。
が、前の先生の存在は大きかった。
リハビリに対しての先がまったく見えなくなってしまった。
そうしてるうちに、SCSでの除痛が得られなくなり、使えなくなった。
そして、知覚神経を切断する事になった。
その手術の後からは新たなリハビリが始まった。
知覚を学習させなければいけない。
手は運動する器官だが、感覚器官でもあり、
運動する能力はあっても、知覚を失うと、とたんに動きは心もとないものになる。
結構むずかしい。。
今は、その知覚を学習させ、運動と連動させる事、
新たに痛みが発生した患部の拘縮の予防、
筋力低下の予防と筋力UP、
を行なっている。
と、思う。ていうか、やってんのかなぁ…
先の見えない(見えるようにやらない)リハの為に自分ではやっているのか確証が…
あくまで、やった方がいいだろうなぁ…って思う事も含めて。
ハンドセラピーの本によると、
その理念は、
『障害のある手』 を
訓練する事で機能の回復を目指すとともに
使いこなすようになることで、
『生活する(できる)手』
を目指す事、とある。
ぜひ、私も、『障害のある手』から『生活する手』を目指したいと思う。
だって、このままじゃ『生活』どこじゃなく、『寝てる』、いや、死んだような手だ…。