自己紹介
夫(42歳)
私(42歳)
娘(7歳)
現在妊娠8ヶ月
2人目妊娠中
超音波検査・血液検査で黄体機能不全と言われた私と、精子検査で数が少なく運動率が悪いと言われた夫。
続いての検査は、卵管造影検査。
生理後に行います。
卵管造影検査とは
卵管の通過性を調べるため、子宮口から造影剤を注入して、超音波で確認する検査。
卵管は、自然妊娠する上で卵子と精子が出会うための通り道であるため、この通路が狭かったり詰まっていたりすると妊娠しにくくなる。
初期検査に欠かせない、大事な検査。
当時の私はこの検査に全く知識がなくて調べもしなかったから、看護師さんの「痛いですよ~」の言葉にそんなにビビッていなかったのだけど、始まると強烈な痛さ!!!!
細い卵管に圧をかけながら液を入れていくわけだから、痛みは当然発生する。
生理痛の5倍くらいのお腹の痛み。
叫ぶほどじゃないし、うぅぅぅぅ~と、うなって我慢するようなかんじ。
終わった途端、痛みがなくなったけどしばらくは何か違和感というか軽い生理痛が残っているような感覚。
出血の可能性があるため、ナプキンを付けました。
結果は
右側の卵管が通っていない(詰まっている)
左側の卵管は狭い
とのこと。
卵管閉塞・卵管狭窄という診断。
原因としては
クラミジア感染、子宮内膜症、腹腔内の炎症…だそう。
この日、医師に言われたことは
自然妊娠は難しいでしょう
いずれ、体外受精に進んでいくことになります
でした。
前回までの検査では、生活改善で自然妊娠できると信じていたし、希望を持っていた。
でも、先生のこの言葉で一気に崩れ落ちた。
てか最初にこの先生、まだ結婚1年だから不妊を心配するのは早いみたいなこと言ってなかったっけ?
こうやってちゃんと調べれば原因が分かるのだから、結婚1年目だろうが親身に話を聞いてくれても良かったのに。
もしあの時私がもう1年夫婦で頑張ってみるという判断をしていたら、無駄な1年を過ごしていたことになる。
自然妊娠しないくせに、毎月毎月期待して、生理がきて落ち込むだけ。
想像したら恐ろしくなった。
この日、会計が終わって車に乗ると涙が溢れ出てきて夫に電話をした。
ごめんねって謝るしかなかった。
当時の私は、体外受精という言葉は知っていても詳しく知らなかったし、周りに経験者もいなかった。
ごく少数の人が大金かけてするものって思っていた。
何で私なんだろう。
何で?何で?
小さい頃は喘息とアトピーに悩まされて引っ込み思案で、父親はいつも不機嫌で物に当たるから家にいられず、保育園に行くようになっても楽しいと思えなかった。
小学校に行くようになっても子供特有の無邪気さも笑顔もなかったから、ちょっとしたことで先生に廊下に立たされたり嫌なことを押し付けられたりした。
友達からもいじめられた。無視されたり仲間外れにされたり、ひどい時は他の教室の黒板に悪口を書かれたりランドセルに泥を塗られたりした。
言い返すことも仕返しもできない、親にも先生にも言えない。一人で耐えるしかなかった。
中学校は主犯格の人と別の学校だったから陰湿ないじめはなくなった。
この時に15年付き合う親友3人と出会う。
(不妊が原因で縁を切った)
家では父が不安定で常に不機嫌。
植木鉢やお皿が飛んでくる毎日。
怒りがおさまらないと外に出されて鍵をかけられる。
手を引っ張られて壁に投げつけられる。
突然グーで顔を殴られる。
小学生の時から早く離婚してくれよって思っていたし、何かを投げられても冷静に片付けていたりして、心が完全に冷めていた。
20歳を過ぎてからやっと離婚の話が出てきて、調停が長引いたりもして父と母の間でかなり神経使った。
父の中のストレスは私に向いていて、お風呂に入っていると電気を消されたり仕事から帰ってきても家に入れてもらえなかったり、、、殴られることはもうなかったけれど陰湿なことが続いていた。
そんな環境から抜け出せたのが結婚だったのに、今度は不妊に悩ませられることになるなんて。
神様に目を付けられているんじゃないかと本気で思った。
人生を振り返ってみても、幸せな時なんて1度もなかった。
これからだったのに。
子供が欲しくて、できれば3人は欲しくて、自分がしてもらえなかったことを子供に沢山してあげたい。
優しくて子供のために生きるようなお母さんになりたかったのに。
自然妊娠は無理で、お金がかかる体外受精。
いつ妊娠できるんだろう?
いつお母さんになれるんだろう?
何で私なんだろうと絶望感でいっぱいで、自分の人生を呪った。