本投稿については、内容がちょっとアレだったので元々は限定公開させて頂いてました。内容をだいぶ削った上で普通に公開させて頂きます。

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「渡くんの××が崩壊寸前」作品紹介及び考察計画


館花紗月は時折、突飛な行動を取ります。この作品自体、館花紗月のいきなりのキスで始まったと言っても過言ではないでしょう。渡直人へのストーカー的な行動についても枚挙に暇がありません。また、石原紫や梅澤マキナに対しては、いきなり胸を触るという狼藉を働きます。

他者とのコミュニケーションの取り方も歪です。渡直人に対してこそ熱烈に接し、円滑にコミュニケーションも取りますが、その他の登場人物に対しては、基本的に冷淡です。会話は必要最小限であり、愛想というものがまるで感じられません。

私生活についても、部屋が殺風景であったりもしますし、また、家族の存在感が極めて希薄です。

自分の気持ちや願望を直接的に言わないというコミュニケーションのスタイルもちょっと変わってます。

これらのことを鑑みると、パーソナリティに偏りがあるのかな?とも思えます。

今回は特別編その2として、館花紗月のパーソナリティ等について考察してみます。

なお、私は医者でも臨床心理士でないです。職場で人事関係の仕事をしている時に、けっこう変わった人や依存症者等に接しなければいけなかったので心理学や依存症者への接し方、そしてその背景である問題のある家庭のことなどについて勉強する機会がありはしましたが、所詮は素人に毛が生えた程度の知識しか持ってないです。なんでホントに話半分に聞いてください。

また、漫画の登場人物とは言え、レッテル張りみたいな話になってしまうかもしれません。不愉快に感じられるかもしれませんので、抵抗感がある方は読むのをお控え下さい。読まれた方で不愉快に思われた方がおられましたら、その際はお詫びします。


ちょっと長めに改行します。
















館花紗月のパーソナリティについて

館花紗月の生育した家庭は、彼女に対してあまり興味や関心を持って接することが少なかったのかなと思います。そのため、館花紗月は他者から興味や関心を持ってもらう、要するに愛情を持って接して貰う、優しくしてもらうという体験に飢えている状態だったのでしょう。

そのような状態だったため、渡家に出入りし、渡直人やその家族に優しくしてもらったという経験は大変に嬉しかったんだろうなと思います。そして、おそらく渡直人に恋心を抱いていたのでしょう。愛情に飢えていた彼女に優しくしてくれた、受け入れてくれた、そして彼女が初めて好きになったという、彼女が心底欲していた人間関係の象徴が渡直人であったのでしょう。だからこそ彼女の人生において渡直人が絶対視されるんだろうなと思います。

(幼き日の3人)

館花紗月は6年間の離別の間、渡直人との幸せを反芻し続け、いつかまた彼の側に行き、彼との幸せな人間関係を味わいたいと渇望し続けてきたのではないでしょうか。

それ以外の人間は館花紗月の望むものを与えてくれるとは彼女には考えられないので、関わることに意味を見出せないのでしょう。だから、あんな無機質な対応になってしまうんだろうと思います。

愛情に飢えているが故に、かつてそれを与えてくれた渡直人との関係に執着し、また、愛情を与えてくれないであろうそれ以外の人間には関わる意義を見出せないため、冷淡な対応になるのかなと思われます。


コミュニケーション能力について

館花紗月の家庭は、おそらく世間から孤立していたのでしょう。10歳の娘に、世話になっている家の畑を荒らさせるような家庭がまともな近所付き合いなどをしているとは思えません。また、家庭の中でも普通のコミュニケーションは為されていなかったのでしょう。そして、館花紗月自身も以前はあまり学校にも行ってなかったと言っています。家の内外でも学校でも、他人と関わる機会、コミュニケーションを取る機会が少なく、また、基本的に渡直人以外の他者と関わろうとする動機も希薄であったため、ごく普通のコミュニケーションの能力を育むことができなかったんだろうと思います。

家庭の中で自分の気持ちを理解してもらう、共感してもらうといった機会も乏しかったと思われますので、館花紗月自身も他者への共感能力が乏しくなってしまったのではないょうか。

コミュニケーション能力と他者への共感能力の乏しさにより、彼女のコミュニケーションは自分本位のものとなってしまう傾向があり、そのことが空気を読まない突飛な行動の一因となっているのではないでしょうか。

なお、渡直人に対して過剰な行動を取ることがありますが、これは渡直人への思い入れが極めて大きいことと、コミュニケーションの能力が低く、普通に接することのノウハウが少ないため、気持ちが先走ってあんなことになってしまうんだと思います。


気持ちや願望を言語化できないこと

館花紗月の言動の特徴として、彼女の気持ちや願望をはっきりと言葉として伝えないってのがあります。渡直人に好きだよと一言でもちゃんと言えば、2人の関係もまだスムーズに行きそうな気もするのですが。理由としては、やはり家庭の中で欲求を述べることが禁じられる傾向にあったのではないでしょうか?海にも動物園にも連れて行ってもらえないくらいですから、子供の欲求を歓迎しないような雰囲気の家庭であったことが想像されます。何かしたい、もっと構って、もっと大切にしてという欲求を述べても構われないか、あるいは罰せられてしまう、そんな家庭の雰囲気だったのかもしれません。

彼女の言動を見ていると、いわゆる「鏡の論理」を思い出してしまいます。「鏡の論理」とは、「貴方が手を差し伸べるのなら私も手を差し出します。貴方が私を抱きしめてくれるのなら、私も貴方を抱きしめます。貴方がその場を去るのなら、私もこの場を去ります」みたいな話です。不用意なコミュニケーションで相手を傷つけたり、あるいは相手から拒絶されるのが怖いから、相手の態度を見て、自分のコミュニケーションの態度を決めるってやつです。相手から歩み寄ってくれない限り、自分からは歩み寄れないってことであり、その考え方の根には対人恐怖があります。館花紗月も家庭の中で積極的な対人アプローチで傷ついてしまい、その結果、受動的な対人アプローチを取らざるを得ず、自分からは感情などを積極的に言語化することを避けちゃってるのかな?とも想像してしまいます。



以上、考察でした。

なお、館花紗月がいわゆるメンヘラなのか?ってことについてですが、私としてはメンヘラ呼ばわりされる程ヤバくはないんではと思います。程度としては、方向性はやや違いますが、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジくんよりはまだマシだと思います(彼も家庭環境にはあまり恵まれず、愛情に飢えている傾向があり、その反面、傷つきやすさから他者との関わりを拒絶する傾向があったりしました。かといって心を全く閉ざすとかでなく、葛城ミサトと擬似家族っぽくなったり、惣流・アスカ・ラングレーに救いを求めたりもしてました。また、自己表現も苦手でした。超面倒臭い人だったと思います。碇シンジ君のファンの方がおられたらゴメンなさいm(_ _)m)。館花紗月は1巻から2巻にかけてはヤバめの行動も取りますが、渡直人への好意が大きすぎることと、コミュニケーションのノウハウに乏しいこと、そして渡直人との関係が過渡期だったことが原因なんだろうなと思います。心が病んでるから、って訳ではないんじゃないでしょうか。現に渡直人との関係がある程度安定した5巻第2話あたりでは、非常に落ち着いた態度を取っています。

(いわゆる安定期の2人)


以上、館花紗月のパーソナリティ等に関する考察になります。


お気を悪くされた方がおられましたらお詫び申し上げます。


最後まで読んで頂きありがとうございました。