久しぶりに長文を投稿しようと思ったのは

 

 

「がん専門病院が積極的治療を進められなくなった患者を追い出している」

 

こんな意味合いの文章を目にして

溢れてきた思いにいたたまれなくなったから

 

私が目にしたこのフレーズ。

がん専門病院は患者を見捨てているような印象を与えて

大変悲しいものみ見えました。

 

 

「がん専門病院が積極的治療を進められなくなった患者を追い出している」

 

 

本当にそうなのかな。

 

がん専門病院は美味しいところ(積極的な治療)ばかり持っていって、在宅医療は割りに合わないとか考えているのかなとか(飛躍しすぎだけど)、思いが溢れてしまいました。

 

 

 

 

私にはそうは思えない。

見捨てていると言うのは違う。

 

 

母がお世話になったG研病院の緩和チームは本当に優秀

優秀はそこに当たり前にあるものではなくて

働くスタッフが勉強をして重ねてきているんだと思うけどね。

 

少なくとも私たち母娘がお世話になった事務の方、

医師や看護師は優しく深い愛があって暖かかった。

 

 

 

がんを患ったらどうやって生きていくのがより良いのか

また終末期を有意義に過ごすためのノウハウをたくさん持っている。

 

 

どうか、たくさんの医療者、在宅療養を支えるスタッフに伝わってほしい。

 

 

 

そして何より、積極的な治療を断念して

終末期をどう過ごすか考えている患者本人や

ご家族に伝わってほしいと思ってしまった。

 

 

 

さてさて、まず考えてほしいんだけど

 

 

がんで亡くなる時と他の病気で亡くなる時

何が違うんだろうか。

 

 

がんでも痛みさえなければ、

またあったとしても疼痛管理さえできれば自宅で暮らしていける。

抗がん剤や放射線治療も通院だから、超納得なんだけど病院にずっといる必要はないんだよね。

 

 

そう考えたら、終末期の患者さんだとしても

がん専門病院にいる必要性がないことがわかるだろう。

 

 

では、次にがん専門病院では治療ができないと滞在できないのかを考えてみる。

 

滞在は希望すればできるけれどね

そのリソースは次の人にベッドを空けてあげてよと思う。

 

母自身もそう言うようなことを言っていた。

まだ生きられる人、治せる段階の人に時間を分けたい。

 

 

G研で最後までいられないのは不安だった。

 最初は私ももどかしい気持ちになったし

ここにいられないこと=見捨てられるような印象があった。

 

でも、今後のことを医師に質問したり自分で本を読んだり

看護師との対話を通じて、がん専門病院にいる必要性がないことが理解できた。

 

 

残された時間にリミットがついた。

ではあと数ヶ月どうやって過ごしていこう。

これを一緒に考えてくれるので、診察でモヤモヤが残った方はケースワーカーや看護師と話してみるのが良いと思う。

 

 

ぶっちゃけ最後の一週間は自宅にこだわらず

G研にいたら楽だったかもしれない。

差額ベッド代が払えれば、G研にいた方が幸せだったとは思う。

 

G研の緩和チームは、雑な言い方だけどすごい。

 

本当にすごい。

 

勉強をたくさんして経験とリンクさせていくことでより良い医療を提供してくれている。だから、快適なのは間違いない。

 

でもね、差額ベッド代が高いんだよ。

庶民にとても払っていける金額ではないの。

 

 

別の切り口から考えてみると・・・

 

やはり化学療法には限界があると納得できたし

積極的な治療をしないなら病院にいても意味がないのはよくわかった。

 

何より、化学療法を続けてきた母自身が

寝たきりの状態で抗がん剤の治療を続けるのは無理だと言っていた。

 

 

もし歩けたのなら行きたい場所がたくさんあった母。

桜が咲いたら散歩に行きたい(間に合わなかったけど)

娘の描いた五重の塔の本物が見たいと言った。

入学式に間に合うなら入学式に行きたい(間に合わなかったけど)

 

 

自由に歩けて疼痛管理さえできていれば、病院にいる必要など一ミリもないのだ。

 

 

自宅に戻った母はなるべく家から近いところにいる在宅医療の医師にお願いした。

(でも、本当はゴッドが良かったよね。と思っている)

 

G研の緩和チームも外部の病院の終末期を支える医師も

互いに(本当は)パートナーなんだよね。

 

少なくとも私の母がお世話になった医師たちはどこの医師もそうだった。

 

(再発の時に「緩和ケアはいつ頃から考えればいいですか」と私が質問していて、その時から緩和ケアのチームにはお世話になっていたのも良かったのかもしれない。)

 

 

G研の医師と母を引き受けてくれた医師と相談して最善の選択をしてくれた。

(最後の退院前には一旦G研に入院して脳転移に放射線治療をしてから家に戻った)

 

本当ならがん専門病院の医師と終末期を担う病院の医師は連携して最高のパフォーマンスがあるはず。

 

 

ではどうして多くの病院ではそれが叶わないのか。

私は専門知識はないので事実を確認したわけではないのだけれど

G研とつながり続けていると

診療報酬の関係でとあるケースワーカーから聞いた。

引き受けた側の病院が損をしてしまうらしい。

病院の規模の差の問題があるらしい。

 

 

大人の事情なんだろうけれど

がんを患ってがんを理由に亡くなる人が増えていくのなら

緩和ケアの医師や終末期を支える医師が相互の協力しあってくれたら

患者はどれほど心強く、そしてその患者を支える家族も心強くいられるのかと考えてしまいます。

 

 

「がん専門病院が積極的治療を進められなくなった患者を追い出している。」

そんなことないよって言いたいし、

そんなことないよって伝わってほしい。

 

G研はがんの撲滅を目指すと言っているだけあって

がんの治療は本気でやってるなって思う。

 

いとこが若くして亡くなった時

母はあの子もG研にかかっていたらまだ生きていたと思う。

そう思えてならなくて、どうして勧めなかったんだろうって。(後悔)

涙を流していた。

 

患者として何か感じるところがあるんだろうと思った。

付き添いしたり医師の説明を聞いている私でも医師の姿勢の違いは感じていたけれどね。

 

G研の医師や看護師、スタッフの姿勢ももちろんだけど

がん患者ではないけど色々基礎疾患がある私が感じた一番大きいんじゃないのと思うのは

 

 

G研に通うと通院している全員ががんを患う人ってとこかなと思ってた。

 

他の病気の人がいないわけで言い訳が作りづらくなる。

どうしても色々あると喘息だからできないとか、関節痛いから〜とか思うんだけれど

もし同じ病気の人で必死に頑張っている人だらけだったら、思いの矛先は前に向くような気がする。

 

一度だけ小さな小さな女の子を見たことがある。

 

母は小さな子も若い子も頑張っているんだなって思うと

自分も頑張ろうって思えるよとよく言っていた。

 

人間が前を向いている時の強さは底がないから

その状態で最新の最適な医療が受けられたら予後はいいだろうと思います。

 

G研病院は民間の病院なので、国立の病院よりはより顕著に病院経営も考えていかなければならないのではと思います。

 

病院の経営が健全であればあるほど、人の命を救い続けることができるのであれば

やはり、がん専門病院の担うべき部分は治療というところになるとそれが当然だと思うのです。

 

積極的な治療ができなくなって、生命維持、QOL維持のためにも医療は必要になります。

その辺のことはもちろんがん専門病院より

優れている外部の病院もあるので可能な限りたくさんのケースワーカーの意見を聞き

探してみるといいと思います。

 

日々、忙殺されているケースワーカーさんの持っている情報はネットでは探せないので、病院探しのコツについてもそのうち書いてみたいと思ってます。

 

まとまらない文章だなぁと思いつつ。投稿!