それは、おとぎの国のような情景でした。

冬の日差しがカーテンで遮られた薄暗い部屋の中、

石油ストーブの明かりに照らされたミカさんの身体は、ディズニーの映画に出てくる人魚姫のような、この世のものとも思えない美しい裸体で、今思い出すだけでも胸が高鳴ります。
 

 サラサラで光る洗い髪と、白よりも白く光る肌、細く長い四肢、小さく膨らんだ乳房とピンク色の乳首、どんな名画より美しい女性の裸体が私を待っていました。


 私は何度も唾を飲み込みながら服を脱ぎ、パンツだけの姿でミカの隣に座り直して、そっと両肩を抱き、こちらを向かせて、以前のようにそっとキスをしました。

 ゆっくりと肌を併せると細い華奢な身体から体温が伝わってきます。私はミカの背中に腕を回してそっと抱きしめ、ミカの首筋に唇を接し、肩に、二の腕に、身体の何か所かにキスをします。そのままの流れで、ベッドに押し倒そうと思ったら、
「これ、付けてね」とパックに入ったスキンを手渡されました。


『付けてね』と言われても、どうやって付けるのかわかりませんが、
 とにかく、自分は今、人生で一番重要な局面に立っている、これまでの17年間、これからの何十年生きるかわからない人生の中で、一番大切な時間を過ごしているんだ。そう思うと、すごく緊張しました、そして緊張すればするほど、私のモノは全然硬くならず勃たないのです。
 

 夢にまで見たミカの裸を目の前にしているのに、裸体の柔らかさを味わい合体できるというのに、ペ●スには全く力が入りません。
 自分の手で握ってみたり、ミカの乳首を口に含んでみても私のモノは何の反応もありません。

 

 それに、僕がどんなに刺激をしてもミカも何の言葉も発しません。それまでロマンポルノやテレビドラマの濡れ場のように、荒い吐息をたてることも甘い嬌声も何も発しません。
 ミカも何も感じてないのか?もっと何かをしなければいけないのではないか、私はさらに焦りました。焦れば焦るほど僕のモノは何の反応もしなかったのです。
 

 私は意を決して、あのスキー場で教わったディープなキスをミカに仕掛けたのです。口唇を分け入れミカの口腔に舌を入れたところで、ミカは強く拒否して、

「もう、やめて」

 そう言いながら私の肩に手をかけ、力を込めて身体を反しました。
「ハル君、ひどい」
 ミカの声は半分泣き声になっていました。
「私は、覚悟してるのに、」
「やっぱり、スキー旅行行ってから変よ、中年の大人みたいなイヤらしいキスするし、私イヤよ」
 そう言って、泣き出してしまったのです。

 こうなってしまったら、もう何もできません。ミカは両手で顔を覆って泣いているし、私はそそくさと服を着て、ミカの家から退散するしかありませんでした。
 一生の不覚、トラウマになりそうな最低の出来事でした。


 1976年4月5日、高校3年生となり、中学から通ったこの学院で過ごす最後の1年間がやってきました。
 学院は付属の大学があり、よっぽど成績が悪くない限り、学内テストで附属大学に進学できるのですが、高校の成績がいい生徒は、六大学を初め私立有名大学や国立の大学を目指して受験勉強に入ります。
 そのため学院でも3年生になると、そうした学外進学を目指す学生を集めてハイクラスとして受験に特化した教育をするクラスを設けていました。私は、英語弁論大会優勝もあり、ハイクラスに入ることになって、ミカさんともエミさんとも違うクラスになりました。

 そうでなくても、あの日以来ミカさんは口をきいてくれませんし、エミも何故か僕を避けていました。私は体操部も正式に退部届を出し、ひたすら受験に邁進すればよいのですが、やはりミカさんと出来なかったショックは大きく、何かというとタメ息ばかりついていました。

 しかもハイクラスの授業はさすがに難しく、英語以外の点数が振るわない私は、このクラスの劣等生と自覚せざる負えない立場に置かれてしまっていたのです。

 5月に入り、とにかくハイクラスの授業に追いつくために、京急日ノ出町駅の裏にある山手英学院という進学塾に土曜と日曜だけ通うことになりました。このクラスでは受験準備の為に代ゼミや早稲田ゼミなど東京の予備校に通っている人達も多かったのですが、5月になり、既にそうした大手予備校は定員がいっぱいで、地元の塾しか空いてなかったのが本当のところです。

 受験体制という意味でも完全に出遅れてしまいました。授業料は親に払ってもらったのですが、定期券はなるべく親の負担を減らすために、学校がある黄金町駅から、一駅歩いて通うことにしたのです。

 

 京急黄金町駅と日ノ出町駅の間は1キロぐらいの距離で、歩いても15分ぐらいで着くのですが、高架線を走るこのガード下には居酒屋やスナック、飲食店などが所狭しと建ち並び、その数100軒はあったでしょうか、夜の歓楽街のように見えましたが、なんとなく戦後の雰囲気も残っていました。ところが、この路地を歩くと真昼間の午後1時ぐらいでも開いている店は多く、どの店からも化粧の濃いおばさんたちが半身を乗り出し、歩く私と目が合うと薄ら笑いを浮かべて、「いらっしゃい」と誘ってくるのです。

 


 

 この受験塾には新井が一緒でした、あのミカに告白して振られ、その後も付きまとっていた新井です。その新井と、ガード下の話をしたら、あそこは売春街だよと教えてくれました。
 

 横浜には売春防止法が施行される昭和33年まで、「赤線」と呼ばれる政府公認の遊郭が真金町にあり、それに対して黄金町のガード下は非公認の「青線」と呼ばれた売春街なのだそうです。その名残で、未だに売春婦たちが昼間から客を取っているとのことです。

 捕捉しますが(ここ大事)、これは昭和50年代の話です。その後バブル景気の頃はフィリピンやタイなどの外国人たちが多くなったのですが、1994年世界エイズ会議が横浜で開催されたことを機会に廃絶され、今はアートによる街づくりと称して芸術家が多く住む街と変貌しています。

 

 とにかく新井は、よく黄金町には通い、童貞喪失もここでお世話になったとのこと、1万円を払えば、店の二階の個室で30分ぐらいだけど、最後までやってくれるそうです。ただし高校生とバレるとヤバいので、大人っぽい恰好をしていった方がいいぞと自慢げに話してくれました。

 

 私としては、新井の話を聞いて、性欲よりも強い嫌悪感を感じました。売春というのは闇の世界、食べるものも食べられない貧困層の女性が、しかたなく身体を売っている犯罪です。その裏には暴力団がいて、一般の良識のある社会人は近づいてはいけない場所だと認識していました。しかも、性病や麻薬の温床にもなっていると、そして、こんなところで初体験をした新井が、未だにミカにつきまとってるという事実、まさかミカが新井になびくことはないと思っても、あの清らかな聖女のようなミカが汚されるかと思うと、こいつを殴ってやろうかと思ったほどです。

 

ただ、それとは反対に、暗く淫靡な世界は、どこかで惹かれるものがあるのも事実です。それに清純な交わりが成功しなかった自分にとって、やはりこうした場所で練習してから、女性を導くものなのかもしれないと、勝手な考えも浮かんできます。

 

 新井への敵意は顔に出さず、もっと情報が欲しくて話を続けました。

 「だって、おばさんばっかりじゃん」と僕が言うと、

 「色々いるけど、中には桜田淳子みたいな可愛い子がいるんだよ」と言います。

 「今日、帰りに見に行こうか?」

 と新井が言うので、今日の授業が終わったあと、そのアイドルみたいに可愛い売春婦を身に行くことになりました。