私達がスキー旅行に行ってナンパした事に関する噂については疑いが晴れたものの、ミカの私に対する態度が変わったように感じられました。

『あなたがそうなら、私だって…』という感じで、
他の男子生徒に対する態度も変わり、僕に見せつける様に男子生徒と談笑する姿が目立つようになってきたのです。
 私はそんな、ミカの姿を見るにつけ嫉妬心を燃やしていました。

 学院では2月1日に中等部の入学試験が行われます。その時の受験生の案内や先生の手伝いを募集していました。
 ミカはその入試手伝いに応募し、そこで、以前、修学旅行中に僕等の目の前でミカの部屋に電話して交際を申し込みフラれた新井と一緒だったとのことです。
 これは新井に聞いたのですが、入試の間、ふたりはペアで手伝いをして、ふたりきりで話す事も多かったとのこと、「なんか、凄い親密になれたって感じ!」と言ってました。

 この新井というのがお調子者で、なおかつ私とミカの仲を知りませんので、親友だと思っている私に、得意になって何でも話してくるのです。私は知らないふりをして聞いていましたが、面白くない事は確かで、私は新井の話を聞きながら妙にイライラしていました。

 その時、私がイライラしていた原因は、ミカの事だけではありません。半年振りに復帰した器械体操が、やはり上手く行ってませんでした。たった半年とはいえ、身体の柔軟性は失われ、体重は増えていました。これは誰に言われたわけでもなく、自分自身が一番気付いていたのです。

『やっぱりだめか?』
 ありえないタンブリングの失敗で、みんなは一瞬息を飲みこみ、私は床を叩いていました。

 私の苦悩は、傍で見ていた後輩の女子部員、峰岸の口から、以前、私に誕生日のプレゼントをくれた、山口エミに伝わっていました。体操部の後輩・峰岸と山口エミはお母さん同士が友人で、彼女たちも、子供の頃から姉妹のように仲が良かったとのことです。
体操部での情けない姿と苦悩は、すべてエミさんにつたえられていたのでした。



 そんな中で2月14日バレンタインデーがやってきました。当時のバレンタインデーは今のように義理チョコの習慣はありませんでしたけど、それだけに、女性が真剣に愛の告白をする日でした。

 その日の朝、礼拝が終わり、教室に戻る前に、例の新井からとんでもない報告を受けました。
 朝、学校に来た時に教室の前で、ミカに呼び止められ、校舎の裏でチョコレートを渡されたというのです。
教室に戻り、席に着くときにミカに目を合わせようとすると、わざと視線を逸らします。

「終わったな。」
私はそう思いました。

 当時、体操部では土曜日は先生がいないので、体力強化のためのサーキットトレーニングの日にしていました。この日は、鉄棒や平行棒などには触れずに、柔軟体操の後、ランニングやダンベルなどで持久力や筋肉をつくるトレーニングをする日です。

 その年のバレンタインデーは土曜日でした。私は午前中の授業中、ずっと悔しいやら悲しいやらで心ここにあらずで、授業が終わると誰とも話さずに一目散にコベルホール(食堂)に行き、カツカレーを口の中にかっこみ、チェリオを一本飲んで、部室で着替えてランニングに飛び出しました。

 まだ野球部もサッカー部も出てきていないグラウンドの外周を全力で走りだしました。
 頭の中のモヤモヤを振り払うように走りだし、ミカの事が頭をよぎると、また全力で加速する、そんなめちゃくちゃの走りでした。

 鉛色の雲に覆われた冬の空です。代々木公園で美香の作ったお弁当を食べながら、英語のイディオムを当てっこしていた時は真っ青な夏空に入道雲が延びていたっけ、

 自分は彼女の身体が欲しかっただけなのか?
高校生向けの雑誌「高二時代」の相談コーナーにはドクトルチエコ先生が、『SEXの欲求はスポーツで発散しなさい。』と、バカの一つ覚えのようにそんな回答ばかり書いていたっけ。

 そんなくだらない事が頭をよぎり、フフッと笑って速度が落ちた時、いきなり吐き気を催してきました。
 そのまま部室棟のトイレに向かったのですが、その時は視界が狭くなり、周りが真っ白になってきて倒れそうでした。それでもなんとかトイレに駆け込み嘔吐しました。
 胃が凄く苦しく涙が出てきました。悲しいからではなく、苦しくかったのです。当然です。食事を食べて炭酸飲料を飲んで、足がふらふらになるまで走ったのですから。


 みんなが昼休みを終えて、部室に集まる頃、私はもうすっきりしていました。全てを吐き出して清々した思いでした。         ・・・・ミカにフラれた悲しさも悔しさもみんな。

 その日の夕方、サーキットトレーニングを終えた私達の話題はやはりバレンタインの話でした。

誰がチョコを貰ったとか貰えなかったとか、何組の誰々が誰々にチョコをあげていたとか…、私たちはトレーニングを終えた爽快感の中、着替えをしながらそんな話をしていました。

 その中で、あのスキー旅行で酔い潰れてしまった守山が、あの時の女子大生と連絡を取り合っているという話をし、みんなで盛り上がりました。あの時関西の女子大生と言っていたのは嘘で、全員町田にあるO短期大学だとのこと、
「そう言えば、誰も関西弁話してなかったじゃん?」
「何処の大学だか、絶対言わなかったもんな。近すぎるからマズいと思ったんじゃないの。」
 私達は、そんな話で盛り上がり、モリに、今度こそ最後までやり通せよ、とはっぱをかけ、大笑いをしながら部室を出ました。

 その時、後ろから「岩田せんぱーい。」と声をかける女子学生がいました。
 声の主は、女子体操部一年生の峰岸で、「ちょっと、ちょっと」と手招きしています。
「あいつ、先輩を手招きしてるよ。」
「チョコレートじゃないの?」
「まさか、あいつカレシいるだろ?」
 みんなに冷やかされながら、しぶしぶ峰岸のところに向かいました。
「先輩、山口さんが・・・」
 峰岸はそう言うと、後ろにいた山口エミを前に引っ張り出して背中を押しました。
 エミは、持っていた紙袋を差し出して、俯きながら、
「これ、」
とだけ言うと、紙袋を僕に渡し、そのまま小走りで走り出し、守山たちの横をすり抜けて校門から出て行ってしまいました。

 後に残ったのは渡された紙袋を持って唖然としている自分と、得意そうな顔で僕を見つめるオシャマな後輩女子。
「これって、はっは~~、あ~~~、今日はバレンタインデーだったっけ?!」
 と、わざと大きな声で恥ずかしさをごまかして、紙袋を開けると中に二つ折りのカードが入っていました。
「何かな~~?」
 とおどける後輩峰岸の見ている前で、そのカードを開けてみると、ひとこと。

『ずっと前から好きでした。』

えっ、
 私は焦りました。ミカではなく、引っ込み思案のエミに、真剣な告白をされたようなのです。ミカを諦めたその日に、自分はどうするべきか。私は迷いました。