中学1年生の3学期に、小学校の同級生だったYさんと文通することになり、
毎月来るYさんからの手紙に胸を焦がしていたので、クラスにいる女子には何の関心もありませんでした。

学院では修学旅行がある中3と高2以外の年は、伊豆の天城山荘に数泊して聖書の勉強を行う自然教室と言う行事があり、中2の時も女子生徒から告白されたのですが、小学校の同級生と付き合っているからと言ってお断りしてしまいました。その後、私にはカノジョが居るという噂は広まり、女子生徒からは全くモテなくなりましたが、

中3の時に学院の文化祭である橄欖祭にYさんが友人を連れて来てくれるという事になり、その時、僕の事を「ただのペンフレンド」と紹介したことで、
『あっ、なんだ僕らはただのペンフレンドだったのか!』

と落胆し、文通の間隔も拡がっていきました。

中学の3年間を通じて、私は「普通の中学生」になっていったような気がします。

もともと、神童ではなかったのですが、一年時、学年でトップだった成績も、だんだんと落ちてゆき、そうでなくても当時、クラスで人気があった男の子はスポーツ万能か、ツッパリと言われる不良っぽい男子で、私など女子の気にも留められなくなっていました。

 

私も、入学当初は兄の影響で生物部に入っていましたが、その頃から何故か「男らしさ」を追求しだし、ヤワな生物部を辞めて、当時部員を募集していた体操同好会に入部しました。

器械体操が得意だったわけではないのですが、小学校の時に水泳で鍛えた筋肉と身体の柔らかさを生かして、新人にしては活躍できたと思います。

 

それより、体操部に入ってから、自分の身体がどんどんと筋肉質になっているのを感じました。ちょうど第二次成長の時期でもありましたし、風呂から上がって鏡の前で筋肉に力を入れてポーズをとるのが楽しくなるほど、ムキムキの身体になっていったのです。

 

 



そんな感じで、平凡な中学生活を送り、同じ学院の高等部に学内進学をしました。

体操同好会は体操部に昇格し、未だ続けていましたが、体操部というのは男女一緒です。

同学年に部員は居ませんでしたが、先輩女子部員や中等部の後輩女子部員たちと一緒に、楽しい部活を続けていました。


高校二年になり、一学期は前の席が山口ミカさん、後ろが山口エミさん、(仮名にしました。)

二人とも前のクラスから一緒の仲良しだったようですが、同じ苗字なので二人の間では下の名前で呼び合っていました。

私の前のミカさんは、あの中学1年1学期の終業式の時に独りで黒板のイタズラ書きを消した、真面目で芯の強い女の子。背が高く見た目も面長でストレートの髪を長く伸ばしたいかにも優等生です。後ろのエミさんは丸顔でちょっと甘えん坊風です。

当時の私は、安心できるタイプ?・・・って自分で言うのも変ですが、つっぱりでもなく、根暗でもなく、
ガリ勉でもなく、体操部に所属していましたがバリバリの体育会部員でもなく、その割に成績はよくて先生に気に入られていたので、ミカさんに言わせれば、『母親に話しても笑って聞いてもらえるタイプ』だったようです。(何でしょ?)

5月の心地好い陽気の5時間目、世界史の授業中に私は寝てしまい、後ろのエミさんに背中をつっつかれて起きると、クラスのみんなが笑っていて、前のミカさんも後ろを向いて、
「いびき、かいたらだめじゃない。」と笑って言ってくれた。そんなひと時を思い出します。

たしか、そのすぐ後だったと思います。私はクラブ活動の体操の練習中、着地に失敗し、踵にひびが入ってしまったのです。夏の大会に出られなくなっただけでなく、しばらくの間、松葉づえをついて歩かなくてはなりませんでした。

でも、その時特に親切にしてくれたのが前後二人の山口さんで、その時から私も二人を下の名前で呼ぶようになっていました。

踵の怪我は2ヶ月もしないで治ります。それでも、もう体操を続ける事は出来ませんでした。
別に体操に未練はありません。そろそろ大学受験の勉強に取りかからなければいけない時期でした。
私はこの怪我を機に、中学から続けてきた体操部に退部届を出しました。

怪我の方は予定より早く7月の終わりには完治して、8月には受験勉強の為に代々木ゼミナールの夏季講習に通う事になりました。

講習は高2生向けの総合補習が午前中、英語の単科クラスを浪人生など他の受験生と混じって午後から受けていました。その単科クラスにミカさんがいたのです。

嬉しかったです。初めは恥ずかしくてそっけない態度をとっていましたが、初めの日の授業が終わり、外に出てみると土砂降りの雨が降っていました。

代々木ゼミの目の前には大きなスクランブル交差点があって、その交差点を渡ると代々木駅があるので
そこまで走って電車に乗ってしまえば横浜まで傘は使わないのですが、その交差点を渡る事さえ躊躇するような土砂降りだったのです。

後からミカさんが降りてきて、「すごい雨ね、」って話しかけてくれました。
二人で、「どうする?少しやむまで待つ?」と言う話をしましたが、
私は目の前の歩行者用信号が青になるとすぐに、ミカさんの手を取って土砂降りのスクランブル交差点の中に走り出していました。渡り切るまでに10秒もかからなかったと思います。それでも二人とも肩や髪がびっしょりになるほどです。私達はお互いの顔を見て笑いながら、代々木駅入り口横にあったパーラーに入りました。

今はもうありませんが、全面ガラスの自動ドアで外にパフェやソーダーなどの蝋細工の見本が飾ってあるレトロな雰囲気のパーラーです。私達は狭い店内のビニール製のソファーに座るとクリームソーダを注文して濡れた服やカバンを拭き始めました。
彼女のブラウスの方の部分が濡れて、ブラジャーの水色の紐が透けて見えたのがドキッとしました。

店内にかかっていた曲がチューリップの「娘が嫁ぐ朝」という曲、この曲の歌詞はその時の状況とは全然違いましたが、リズミカルなテンポと明るい曲調はその時の私達にぴったりで、今でもこの曲を聴くとあの時の事を思い出します。



夏季講習の間、昼食は代ゼミの廻りの蕎麦屋などで済ます事が多かったのですが、単科ゼミでミカさんと会ってからは一緒に食べる事にしました。

明治神宮を代々木方面から入ると駐車場と無料休息所があります。

そこは簡単な食堂が併設してあり、売店には菓子パンも売られ、テラスにベンチが並べられていました。
私は独りの時はそこでパンを買って食べたりしていましたが、ミカさんと会ってからは二人でそこに行き、昼食後に午後のクラスが始まるまで歴史の問題を出し合ったり、英語の単語や暗唱文を言い合っていました。

そして次の日からはミカさんがお弁当を作ってきてくれて、一緒に食べる事になりました。

「受験勉強中なのに、おかあさんに叱られない?。」
 ミカさんがお母さんの話をよくするので、聞いてみました。
「お母さんにはちゃんとに岸田君の分も作ってるって言ってあるのよ。」

 ミカさんは、何故か一人で笑いをこらえながら話始めます。


「え~~、お母さん公認なんだ!、で、お母さんなんて言ってるの?」
 そう聞くと、ミカさんは笑いながら、
「お母さんは笑いながら眺めるだけでね、『岸田君かわいそう。』って言うのよ。」
 そう言って、こらえきれなくなって大笑でぃていました。
私はミカさんの母親公認と言う事で嬉しいような気もしましたが、
ゾッとするような気がしました。

何故でしょうね?女性とお付き合いするという事は、その娘の家族の目も気にしなければいけない
責任みたいなものが伴うものだと思ったからでしょうか?