私自身の二面性と言うのは、表と裏が全く違うということです。
裏では、かなり暗く、淫靡な子供時代を送ったことは否定しません。男性に支配されたいという気持ちがあったとしても、表の私は、親兄弟、親戚中に愛される、明るく楽しい子供時代を過ごし、かわいい女性を求めてもいました。

そんな表の世界で、ごく普通に異性を意識し、恋に胸を痛めた中学高校の話を書いていきます。
ここで恋というのは、もちろん異性を想う気持ちです。前章との違いを出すためにも、
少し文体を変えて、明るく楽しそうに書いてゆきますね

本来、男性は生まれた時から女性を求めるものなのでしょう。
それは動物である以上当然の本能のはずです。
求めるという言い方は、一般的な道徳観を持った人間として、赤裸々すぎて控えるとしても、我が事を振り返ってみても、物心ついた時から女性を意識していたことは確かです。

プラトンの「人間球体説」ってありますよね?
哲学者プラトンによると元々人間は一つの球体だったみたいです。
とても仲良く球体が過ごすから、神が嫉妬してその球体を二つに割ってしまい、
以後、男性は片方の半球を求め、女性も片方の半球を求める旅をする...。・・・・という説。

たぶん錯覚でしょうけど、この人となら、一生一緒に過ごしたいなと思う、というか感じた女性は何人かいました。

何人も、っていうところが錯覚の証拠なのですが、もともと男女は引き合うものですから、気が合って話が合えば、一緒に居たいと思うのは誰とでも同じなのだと思います。

でも、なんとなく、この女性とは何か運命的なものを感じる!と思ったのは小学校5年生の時でした。小学生で運命を感じてしまうのですから、かなり錯覚に陥りやすいタイプだったのかもしれませんが、同じクラスのYちゃんにはそれを感じてしまったのです。

Yちゃんは、とびきり美人というわけではありませんでしたけど、丸顔でよく笑う明るい女の子でした。いかにも育ちの良さそうな物腰で、いつもショートヘアーで前髪がウェーブしていて、
そして何より、小学生の割には・・・・当時の言葉で言えば・・・・ボインでした。

 

それと、Yちゃんのバレーの発表会を観に行った時の、舞台化粧をしたYちゃんの姿に、女を感じてしまったということもあります。

誕生日は僕の一日前、8月12日で、当時クラスのみんなで鎌倉散歩に行った時は、切符の番号が僕が
○○12で、Yちゃんが○○13だったので、取り換えっこしたことを覚えています。

まあ、ただY子ちゃんと恋人同士だったわけではありません。だって、小学生ですよ?!
いわゆるクラスの中の「怪しい関係」でもなかったです。

ただ、前章にも書きましたが、小学5年、6年の担任のもと、放課後にみんなでソフトボールをやったり、日曜に先生の家に遊びに行ったり、鎌倉や鷹取山、城ヶ島に行ったりと、とても楽しい小学生生活を過ごせたので、そんな時、いつも隣にはY子ちゃんがいた。・・・・・ただそれだけです。

私は、小学校卒業と共に、育った街の駅から3つ隣の駅の私立の中学へ行き、地元の公立中学へ行ったYちゃん達クラスのみんなとは離れてしまいましたが、凄く残念に思いながらも、将来を誓い合うとかそういう事も無く音信不通の期間が過ぎました。

それから1年、中学一年の三学期に、Yちゃんから手紙がきました。

葉書です。普通の官製はがきに、ボールペンでびっしりと、ただの緊急報告が書かれていて、
でも、それでYちゃんも、僕の事を忘れないでいてくれたんだ!という事が分かったし、
たぶん交際を続けたいんだ、ということは理解しました。もちろん、私もすぐに返事を出しました。
そうして、高校を卒業するまでの6年間文通が続いたのでした。文通だけの間柄で、それも高校を卒業するころには疎遠になってしまったのですが、

小学校卒業から28年、40歳になる直前に、成人後初めての同窓会がありました。
28年振りに会うみんなと、色んな話をしながら、Yちゃんと二人になった時に、
「岸田くん」、結婚したのって、何年?」
 と聞かれました。

「え~と、子供が63年生まれだから、昭和62年の4月」
と、答えると、

「ふ~~ん、私は62年の12月よ。」

と、得意そうな顔で言います。つまりは僕の方が先に裏切った!ということを言いたかったのか?
自分が結婚する前に私がどうしているのか、気にして損した!と言いたいのか?
お互いの顔を見つめあって笑ってしまいました。