誰かのクラクション | 写真係り

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自分のこと、信じてみることにする。

 

 

 

 

毎日はあまりにも さらけ出されていて

 

街の素顔はこんなにも 悲しみに満ちてる

 

 

誰かと交わした 言葉のひとつひとつが

 

紛れゆく通り見つめる 僕の心 しめつける

 

街のどこかで 誰かのクラクションが泣いている

 

 

現実という名の壁に はねかえり 心つきささる

 

形の裏側を君が知るまでは

 

 

誰もが心のポケットに 行くあて捜し歩く

 

何故だろう 何を捜して

 

ビルの合間 街の影が やさしく心に語りかける

 

“何を手にしただろう”

 

ぬくもりの明かりが やさしくゆれてる

 

 

少し聞いて 君は急ぐの

 

ピアノの指先の様な 街の明かりの中

 

ほら街に生まれよう

 

さがし続けてる 素顔のままの愛を

 

かざらない君の素顔の愛を 本物の愛を

 

 

毎日は君のせいじゃなく 汚れていても

 

落書きえ雨にうたれて 時に流される

 

正確に時を刻むものが あるとするならば

 

心やすらぐ君のリズムは 噛みあいはしない

 

 

街のどこかで 誰かのクラクションが泣いている

 

間違いが君の心を 孤独の世界にしても

 

ほらごらん 全てが君のものなんだ

 

 

街の暮らしは ささやかな愛につつまれて

 

こんなにも君が守る愛さえ

 

たたずむ時には 地下鉄の乾いた風の中で

 

“誰のために泣けるだろう”

 

大切なもの どこかに忘れた気がする

 

 

どこへ行くの わからぬまま

 

ピアノの指先の様な 街の明かりの中

 

ほら 街に生まれよう

 

 

探し続けてる 素顔のままの愛を

 

かざらない君の 素顔の愛を 本物の愛を

 

 

押し流され 通り抜ける 街の改札に

 

照れながら 愛を口にする あの日の恋人

 

心から愛された事が あるかって聞かれた

 

一緒に捜してたものなら あった気がする

 

かざらぬ愛を 素顔の愛を 本物の愛を

 

 

かざらない君の

 

素顔の愛を 本物の愛を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼い頃、僕はよく迷子になった。

 

家族でどこかへ出掛けると

 

かならず僕だけが迷子になった。

 

迷子になったつもりはないけれど

 

いつの間にか、そうなるのだ。

 

 

動物園がいい例だった。

 

まず、親に手を引かれて入園ゲートをくぐると

 

親は僕を自由にしようと手を離した。

 

妹や弟は入園の際にもらった

 

園内の施設や、色々な動物までの

 

道順を記したパンフレットを見ながら

 

リュックや水筒を大きく弾ませ、走り出した。

 

 

僕は入園ゲートを過ぎた脇にある

 

大きな車ほどある園内の地図を見上げ

 

赤く記された現在地を探す。

 

そうすることによって、今自分がどの位置にいて

 

これからどのように進んでいくのか

 

どのように進んで行けば理想なのか

 

大体の見当がつくからだ。

 

 

だけど、当時の僕は

 

案内板をみた後もそれだけでは済まなかった。

 

 

リュックからお絵かきノートを出して

 

そのコミカルに描かれた案内板に釘付けとなり

 

園内の道を細かい地図の様に

 

書きだしたりして楽しんだ。

 

 

そうこうしている間に、僕の家族たちは

 

ずんずん先へ進んでいくものだから

 

僕はいつの間にか“迷子”になった。

 

 

今でも実家で集まると

 

大抵、僕の迷子話しが一度はあがる。

 

その度に、僕は説明するんだ。

 

 

『僕なりに楽しんでいただけ』

 

っていうんだけれど

 

結局、みんなにとってはそれが

 

“迷子”らしい。

 

 

そう、学校から帰ってからの夕方に

 

河原まで行って犬の散歩をしている時もつい

 

イヌガラシやスカシタゴボウ

 

ヌスビトハギにカラスノエンドウ等の

 

種子を観察したり飛ばしたりして遊んでいると

 

肝心の散歩中の犬が呆れてしまい

 

僕を置いたまま、よく先に家に勝手に帰っていた。

 

 

 

 

何かを知りたいとか

 

突き詰めて理解したいとか

 

美しいものや景色を目にした時

 

種が飛ぶ原理や楽しい仕組みも

 

どうやって記憶しよう、とか

 

家に帰ってから、みんなにどう

 

表現したら伝わるかな?とか

 

とても真剣に考えていたのを思い出す。

 

 

僕の撮る写真もそう・・

 

どうやって撮ったら

 

その場の空気の色や匂いとか

 

湿度や温度も伝わるだろうって

 

交差点に響くクラクションが

 

やけに淋しく聞こえるのも

 

どうしたら伝わるだろう・・

 

 

 

音もなくまわる

 

夕方の観覧車に

 

飛行機雲とカモメ。

 

 

コンクリートに置かれた

 

ヤツデの花。

 

 

僕の心じゃ抱えきれない

 

寒くて、さみしいこと

 

ひとつ ひとつ・・

 

 

 

 

 

 

 

今日は

 

本を読んで過ごしたんだ。

なぜ僕は本を読むのだろう。

 

心の森に、もっと木々を

 

もっともっと増やしたいから

 

 

うん、きっとそう。

 

 

 

 

 

PS

 

インフルエンザB型・・すっかり良くなりました。

昨日なんて家の前の雪掻きまでしました。

ちょっと、ふらふらしてしまったけれど

もう大丈夫です。心配してくれた皆さん

僕はもう、だいじょうぶです。

ありがとうございました。