
私の父は、境界性人格障害です。
今から3年以上前、
私は大好きな生まれ育った飯能にまだ住んでいました。
しかし父から卑劣な嫌がらせが続き、
警察署の助言もあり、故郷から離れ、
日高市に引っ越してきました。
父が、私や主人、大叔母、娘にしたことは明らかに犯罪であり、
2度と関わることはないと思っておりますし、
これ以上許せない人間はいない、
と、当時は思っておりました。
しかし、父を上回るくらい、自分の人生をかけても赦すことができない人間が私の中に
昨年存在することになりました。
裁判をはじめとする制裁は考えておりませんし、
何かしたい訳ではありませんが、
今でも私は赦すことができぬまま、
その人間が自分の中に存在しています。
父がしてきたことが可愛く思えてしまう位です。
父は悪い顔や態度をしておりましたから、たかが知れておりましたが、
実は1番悪い人間というのは
いい顔をしていながら、ふっと自分に降りかかってきたチャンスにつけこみ
人を叩き潰す人間なのではないだろうかと。
これもまた私の経験値になった訳ですが…。
今は沢山やることがありますので、
考えていない時の方が多いものの
ふっとした時に怒りや悔しさが込み上げ、思い出したりするのです。
その方は確実に私や娘より先に亡くなります。
今の自分の方がその愚かな人間よりよほど可能性に秘めていて、
希望ある年齢ですが、
それでも私はその人間を赦すことができない。
先程、facebookに
大切なのは自分がどん底の時に誰が側に居てくれたか、
と書いている方がおりました。
私も当時のことを思い出し、
友人、大学の恩師、実習先でお世話になった先輩方、前職の縁ある方数名、保育所の先生方、私を拾ってくださった会社、主人と娘、
当時、どん底の私を支えてくれた方々に心から感謝しています。
その方々に恩返しすることが、
私の生きる源の一つにもなっております。
そしてその方々を無力ながらも一生賭けて大切にする、と、心に決めています。
支えてくれた方々の為にも、
いつかその人間を赦せるように
自分自身大きく成長したいと思っています。
あんなに許せなかった父を許せるくらいに思えるのは、やはり血の繋がった家族だからなんだろうなと。
父にはもう会いたいとは思えないけれど、
その卑劣な人間のおかげで
父を真っ直ぐ見て理解できるようになったこと、
その人間と同じ人間には決してならないと自分に誓ったことは
私にとって、大きな収穫でした。
私とご縁がある全ての方々がどんな環境下でも決して排除されることがないように
これからも全力で関わって参ります。
私はあきらめません。