【積極的に人に頼ろう!】家族を亡くすということ | ここでしか咲かない花

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こんばんは。


急に重いテーマになりますが、

今日はこんな気分なので…
書かせてください。


今日、ご近所のご主人が亡くなったとのことでその奥様が見え…
車が停まったり慌ただしくご迷惑をおかけすることになると思うので、とご挨拶に来られました…。



我が家は今の地域に家を建てて1年弱になります。

最寄の飯能駅からは離れていますが
バスも出ており、土地も安く購入できるとあって
新興住宅地として一気に家が建った場所でもあります。

そして皆さんが同じような時期に越してこられ、
一人暮らしのご主人から子育て世帯、夫婦世帯と様々な方が暮らしている地域です。


来られた奥様のご世帯は付き合いも挨拶程度ではありましたが、物静かで優しそうなご主人で、年齢も30~40代くらいとまだ若く…
我が家と同じで小さいお子様がおられます。


今日は奥様のご挨拶に大変動揺し…
この間までお元気に庭をお手入れされたり、清掃デーに来られたり…そのご主人が亡くなっただなんて…まだ信じられない気持ちでおります。

あまり伝えていなかったので、と言われていたことから急なご逝去ではなかったことが伺えました。


今日は1日中、
気丈に来られた奥様の事がたいへん気掛かりで、奥様のご家族はいるのだろうか、何かできることはないだろうかと心配で、班長様へご相談に伺いました。


どんなに家族が居ても、小さい子供を抱えながら一家の主を亡くす大変さは並大抵のことではありません。


今の時代、いわゆる【おとなりさま】が希薄になり、ご近所付き合いも、一線を引いた付き合いが一般化されています。

踏み込んだ付き合いは毛嫌いされますが、お節介と言われても、ご近所となったご縁もあり、私が出来ることをこれから考えていきたいと思っています。



私の母は15歳の中学校卒業式直前に病死しました。

沢山の方々が私を心配してくださり、
名刺をくださった方も居れば、うちに遊びに来てね、何かあったら連絡してね、と温かい声をかけてくださった方もいました。

DVの気があった父との関係は劣悪で、
私は一人っ子、親戚付き合いはなく
家には母方の高齢の祖母や大叔母を抱えていたので頼れる者はおらず…
そんな方々の優しい言葉を大変有難く受け止めていました。

しかし、自分がなんとかしなくてはいけない、
責任感が強い人間ほど
人を頼ることはできなくなります。

つまり…

何かあったら連絡だなんて出来るわけがないのです。

全然大丈夫じゃないのに、
大丈夫、という言葉が口癖のようになり
口から発する言葉は
自分は大丈夫なんだ、と
無意識の中で
自分をマインドコントロールしていきます。

そういう状態になった人間の行き着く先、

どうなるか分かりますか…?



母が亡くなり、私が最初の高校を退学してからの空白の数年間
私がどこでなにをしていたのか知る者は2人を除いてほとんどおりません。


人を信用しない、信じられるのは自分だけ。


友人、知人、あらゆる関係から断ち切り、

人と関わらず、ただ高校卒業のために通信制の高校へ入学し、北池袋で一人暮らしをしながら昼と夜の仕事を2つ掛け持ちし、光熱費節約の為に洗面器で水量をはかり、冬場でも水で体を洗い、夜はキャンドルで勉強する。

当時の私には強い目標があり、若さゆえに出来たことです。

とても人には勧められない、今だからこそ思える過酷な生活をしていました。

しかしその時は過酷などと思っておりません。

そんなことを思う余裕が無いくらい、明日生きることに必死でした。



私は母を心から慕っておりました。

母が亡くなるまでは裕福な家庭に育ったと言われており、

きっとこんな生活になることは私でさえ全く想像しておりませんでした。


人間は自分を追いこむ事を無意識の中で容赦なく行います。

つよくなくてはいけない、
むしろそれが自分のステータスにまで拡大していきます。

私は当時の自分に後悔しておりません。

辛い、苦しい経験は
人を大きくしてくれます。


しかしこれは結果論でのこと。
今、唯一後悔していることがあります。

もっと周りに助けて、と

言えたらよかった、と…。


周りに助けられながら生きていく、

人の力を借りながら生きていくことも

生きる上でとても大切なことなのです。


私に、人は1人では絶対に生きていけない。と

教えてくれた人が居ました。

その人はスポーツ一筋で大変つよい人間だと思っていましたが
私にも弱みをしっかり見せながら、
何年もかけてその事を、等身大の自分を通して伝え続けてくれました。

私はその人の言葉をいつも心に留めて生きるようになりました。

人に頼らないパーソナリティーが何年も確立されてきたことから
まだまだ頼る事は苦手ですが、
昔よりも出来るようになったのは、
なにがあっても変わらずに受け止めてくれる安心感をその人から伝えて貰ったからだと思っています。




今日来られた奥様に
もっと何かしてあげられたのではないか。。。



そんな風に思うよりも、出来ることを考えて行動したい。



世の中には、色々な方々がおられます。

偽善者の顔をして自分の利益しか考えていない人、弱みにつけこむ人。

この人は本当に信用できる?

こんなことしたら相手に迷惑かな?

自分の今までの経験値をかけて、考えなくてはならないことも出てきます。


でもね、相手を思う真剣な気持ちは人にちゃんと伝わるんです。

しかし、伝わっている、と自分が実感するのは自己満足でしかありません。

これは実感を求めてはいけないんです。

難しいですよね。。。。

私は良く、無垢なこころで、
という表現を使います。


今は今でしかありません。

誰もが今、この時を生きています。


こころから信頼を置くシッターさんが先日、

助けて、と言える事の大切さを教えてくださいました。


支える方も、また支えられる方も、
決して強くなくて良いのです。


もっともっと、人に頼って良いのですよ。


人を想うこころを諦めたくないと
心に誓う今日でした。。。。