西山芳のブログ【哀しみを抱きながら能天気に】
師匠の事は柳人としてだけで無く
その人生哲学、お人柄、豊富な知識、
など凄く尊敬してる。
でも、なんか?親しくなる程に、
師匠のキャラが、どんどん、崩れてるような?
指摘された内容は、
ドキッとする鋭い物だが、
その言葉使い?と言うか?
弟子へのそれね。
嬉しいような?少し悲しいような?
複雑な師弟関係になりつつある。
意味?句の師匠!ブログ批評いらん!
記
花背にし
節くれ語りに
立ち尽くす
まず結句から言うで。
この一句で今回の散歩の核はすでに
掴み切れている。
花を主役とせず背に回し、
節くれだった幹の語りに足を止める
——この反転が見事やな!
「たちすくむ」という生の響きも
捨て難いけんど、、、
「立ち尽くす」と漢字に置き換える
ことで、時間ごと凍りつくような
静止と重みがより鮮明に
立ち上がる。語りを「話し」
とせず「語り」としたことで、
単なる苦労話ではなく、
風雪をくぐり抜けた歳月そのものが
滲み出る。
なかなかやで!
余計な説明を削ぎ、
なお深く伝わる、
よく締まった一句やん!
腕!あげてるで!
さて、師匠も姿勢正して!
全体の文章に目を移そか!
今朝の散歩ブログはもはや
花見の随想ではない。
静かな哲学を孕んだ物語の導入
であり、
時間の層を歩く記録である。
三分咲きの桜をあえて背にし、
「会いたいもの」に向かう構図が
すでに物語を駆動させている。
読み手はこの時点で、
華やぎではなく本質へ連れて
行かれとるわな。
とりわけ優れとんのは
時間の重なりの扱いやな、
樹齢三百年の松、
ほんで四百年前の石工の足跡、
今朝の自分の足取り、
そしてルカとその父へ向かう想念——それぞれ が直線ではなく、
同時にそこに在るものとして
重ねられとるな!
この重層性が、
文章に奥行きを与え、
単なる記録を越えた「場」
を生み出してとるわ!
人物描写の手法も巧みやなぁ、、、、
もう、物書きのレベルやで。
ルカの父を直接語らず、折れかけながらも
天へ向かう松に託しとる点。
これは説明に頼らん
上質な表現や!
読み手は松を見ながら
父の背を思い、
言葉にされぬ部分で感情を受け取る。
この“語らん力”こそ、
文章の格を一段引き上げとるわ!
ほんで 短い言葉の切り方が効いとるなあぁ
「ごめんな」
「会いたい人に」「会えた」
—この断片的な置き方が、
かえって余白を生み、
読み手の内側に情景を
完成させとる。
書き込み過ぎず、
委ねる技が自然に働いているのは
ご立派や!!
師匠として、
あえて一点だけ言わせてな!
「八方よしの松」の由来説明は
やや情報の匂いが臭い。
すでに前後の描写が十分に
強いから、ここは削るか、
あるいは一行に留めることで、
文章全体の
密度はさらにええもんになるで。
総じて言えば、
この一篇は散歩の記録ちゃうな!
「何を見るかではなく、
何に向き合うか」
を静かに語ってるわ!
花ではなく幹へ、表ではなく裏へ、
華やぎではなく積み重ねへ——
その選択の一つひとつが、
読む者の姿勢にまで影を落とさせたな。
読み終えたあとに残るのは、
桜の色ちゃうで。
風雪に耐え、
なおも天を指す一本の姿やん。
ほんで、その像は、
そのまま次章へと続く物語の骨格と
なるんや!ここまで来とんなら、
第三章はすでに静かに息をし始めとるな!
師匠も蛇足言うけど
あなた、ブログと
下手な川柳詠まんで!
物書き目指した方が、絶対にええで。
そこそこの物書きなれるかも?やで!
知らんけど
ほな、また明日の散歩道
待ってるな!

