6月11日(火) オフ

 

 

 

変わらないいつもの通りの日々、そう言える程度の日々だ。

 

世には再びコロナが流行っていると実感する。

身近でも間接的でも、さまざまな形で罹患したという話を最近よく聞く。

 

それに対する世の中の扱いが変わっただけで、脅威がなくなったわけではない。

どのメディアでも話を聞かない日は無いほどだった数々の専門家が、今では探さなければ見つからない。

臭いものにフタをして問題先送りするこの国の風潮は、今までもそうだしこれからも続いていくということだろう。

 

6月も中盤だが、まだ梅雨に入っていない。

そして朝から結構良い天気なので布団を干した。

来週くらいにはこの辺りも梅雨入りするのだろうか。

 

洗濯物がユラユラしている。

風があるのだろうが、部屋の中にいる私に風は届かない。

 

引越し先も見つからない。

良いと思える物件が、いつも寸前で逃げていく。

探し続けることに、正直疲れた。

 

 

良好だと思えた人間関係が、いきなり悪く感じてしまうこともある。

そしてそれを追求して解決しようという意欲に欠けている。

その割に寂しさだけは一丁前に感じて、それを気にしないよう努めて【いつも通りに】と躍起になる。

そして、自分の環境を噛みしめてみる。

ちっぽけすぎて、ぐうの音も出ない。

砂漠の砂粒が叫んだところで、誰かが気づくはずもなし。

 

 

思いつく限りの【今】できることを。

私にやれるのは、それだけだ。

 

 

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仕事の方は、変わらず淡々とこなす日々だ。

取り急ぎ明日のメシの為に腰かけ的に就く仕事で、今日のがんばりが明日に活きることもなく消耗するだけの仕事。

長い目で見れば日雇いと変わりない。

 

すぐに辞めるつもりで早数年、先週から腰に鈍痛が出るようになった。

継続出来なくなるのは必至。

 

 

 

 

愛想を尽かすか体を壊すかのどちらかで人を遠ざけつつ、誰でも受け入れるという間口の広さで人材集め。

それを繰り返し、長くても5年程度で常に人が入れ替わるようなシステムを上手に作ったものだと感心する。

 

 

来月からは、さらなる減車が実施されるそうだ。

この数か月、物価高→減車→インボイス実施→報酬ダウン→減車→さらに減車。

個人の配達ドライバーを波状攻撃で締め付ける施策が次々と待ったなしで実施されている。

 

私のような個人事業主の配達ドライバーは立場が弱い。

食い扶持を最初に削られ、景気が持ちなおしても増やされるのは最も後回しになる。

複数回に分けながら真綿で首を絞めるような削り方で、死なない程度に生かすだけの報酬を探っているのだろう。

こちらの要望など聞き入れず一方的に永遠に続くのだ。

 

そうした理不尽に憤ることも少なくなってきた。

「嫌なら辞めればいいだけ。それでも続けるおれ自身が悪いだけだ。」としか思わなくなっている。

 

 

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両親からの連絡は、以前のように私の休日に電話が来るようになっている。

近況報告という名の生存確認。

 

姉という一人の人間に対しては嫌悪感しかないが、現況を放置したのは母であり、横から母に文句を言うだけの父でもある。

両親が、姉が離れたことによって私に頼るフシを見せている気がしなくもない。

 

最近また流行り始めたコロナを怖がっているし、しばらくはこのまま電話連絡だけを続けようと思っている。

 

 

 

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配達車両は5月に車検、今月はラジエーター交換という大きな修理をしてメンテナンスに手も金もかかっている。

修理箇所が増えるのは、長年使っている車なので仕方のないことだ。

 

 

 

 

そしてまた、別な箇所で異音を感じていて少し食傷気味だが、その音の出所がどうやらブレーキ回りのような気がするので放置できない。

自分で覗き込んでもわからなかったので、早急にプロの診断を求めなければいけない。

 

本当に手のかかるヤツだ。

だが、見捨てはしない。

お互いくたびれた者同士、一緒にがんばろう。

 

 

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やっつけの食事と、好きなものを食べたいだけ食べるという日々は続いている。

自炊と晩酌はストレスの【解消】とまでは行かないが、とても役立っている。

 

 

【納豆スパゲッティ】

 

 

【サラダ】

 

 

【バジルソースの冷奴】

 

 

【肉野菜炒めなど】

 

 

【魚介とニンニクのピリ辛】

 

 

【おやつ】

 

 

【立ち食い豚焼肉】

 

 

【ニラ玉など】

 

 

【カップ麺】

 

 

【ハムサラダ】

 

 

冷食のツマミも使うし、小腹が空けば深夜だろうとチーズを乗せたトーストも食う。

コンビニの総菜パンやおにぎりで、胸焼けをするのも相変わらず。

 

この蓄積は、いずれツケを払うことになるのだろう。

だが今は差し当たって健康食にこだわることもしない。

 

 

 

手の届く範囲で、知りえる事に目をそむけず、心を腐らせず、少しでもいいから前に進む。

そうやって生きていないと、私という存在を自分で許せなくなってしまいそうな気がする。

 

しかしながら、貴重な梅雨の晴れ間のような休日に布団を干しただけで満足感を得るスケールの小さい中年独身男。

それが今の私だ。