2024年3月15日(金)
親孝行をしたいと思っても、拒絶されているとなれば話は別だ。
誰であれ、こちらを向いている時と後ろを向いている時の顔が違うとわかってなお付き合っていくことは難しい。
両親が私に対して不安を感じたことで、私には何も言わずに姉と共に対策をしていたことにショックが止まらない。
電話口でひたすら、すべての資産を姉に譲ったことを謝罪する母を責める気持ちなどは微塵も湧き起らなかった。
親の金を親がどう使おうと自由だからだ。
それなのに、なぜか時間が経つごとに悲しみが大きくなっていくのがわかる。
子として否定されたような気持がぬぐえない。
ハッキリとこれが【嫉妬】だと認識している。
両親の私に対する優しい態度や、姉との小競り合いがあったときにその不満を私に話したことなどはポーズに過ぎなかったとしか思えない。
姉がしでかす様々な事柄に否定的な私をうまくいなし、裏では同じ秘密を抱える者同士で姉とうまくやろうとしていた両親だ。
いくら考えても、そういう結論にしかならない。
受け入れがたいが、これが現実だ。
可愛さ余って憎さ100倍、なんて言葉が浮かんできてしまう。
80を超えた父と、事なかれ主義で八方美人な性格の母とは、非常に残念だが考え方の根本が違うと思わざるを得ない。
同じ親から生まれた者として、生前贈与という形ですべてを持って行った姉が、私に何も言わないということがどうしても納得が行かない。
それを黙って見ていた両親に対しても、だ。
「アンタのやることに不安を覚えたから、奪われないように財産はみんな○○(姉)に預けたし、マンションは登記も移してあるからね、でも今となってはそんなことしなければよかったね。 ごめんね!」 その言葉だけで母は全てを終わらせようとした。
父にも知ったことを伝えると、「納得してくれると助かる。」 そう言った。
姉が何を思っているのかなどわかるはずもないが、2年もその事実を言わなかったのが証左で、私に対しては同情などはないと判断できる。
このままでは、大きくなるばかりの【裏切られた感】が処理できない。
いや、裏切りではなくて【切り捨てられた感】の方がしっくりくる。
いずれにしても、悲しみを前に泣き寝入りということになる。
それでは私が自分を許せない。
なので私は一つの決断をした。
姉とは関わらないと言ったが撤回する。
ただ単に姉に文句を言うだけでは、きっと何も伝わらないだろう。
金が欲しいだけだと思われるに違いない。
どうせそう思われるのならトコトンやってやろうではないか。
なので、生前贈与の遺留分請求権というものを行使することにした。
段階を踏むが、最終的には訴訟を念頭に入れた行動となるのでとっかかりから弁護士も立てる。
最初に行うのは内容証明の送付からだ。
長年付き合ってくれた私の弁護士は、相続問題に明るいかどうかはわからない。
それに2年ぶりに会えばそれ以前の嫌な記憶を引き出すから、それも憚られる。
なので今回は他の弁護士に相談してみようと思っている。
すでに法律家への無料相談メールで内容を送信したので、今は返信を待てば良い。
姉は、おそらく内容証明で初めて私が本気で憤っていることに気付くのだろう。
姉とは弟を常に上から眺めたい生き物のような気がする。
そういえば優しかった姉という記憶は、どれだけ小さな頃のことを思い出しても浮かんでこない。
ついて歩けば追い払われ、家の中でも毛嫌いされていた記憶ばかりが浮かんでくる。
まぁそれはもうどうでもいい。
姉が何かを言ってくるかもしれないが、それから身内で集まって何かを解決するにはもう遅い。
直接の連絡はもう出来ないようにしてある。
私自身、【法】でハッキリさせないと納得ができなくなっているのだ。
こうなって、今さら仲良く共に老後の交流などもあるはずがない。
それ以前にすでに絶縁宣言をしたようなものではないか。
私が感情に流されているからこそ、法に沿って粛々と物事が流れていけば良いのだ。
私の請求が却下される場合だってありうるのだから。
逆に、私の請求が通れば姉は私に遺留分を提供しなければならない。
少なくとも不動産の実勢価格を基に、現金で請求するつもりだ。
「法律で守られた私の分は現金で下さいね?」 と語りかけるところから始める。
「貰ったのだからすべて私のものよ!」 という姉の主張が通るのか、見定めようと思う。
私自身の訴訟などの全てが解決したのは2年前のこと。
贈与そのものはその数年前のはずだから、手続き自体はおそらく4~5年前という所か。
登記簿を見れば名変の日付が入っているはずだから後でわかる。
私が最もキツかった頃ではないだろうか?と考えるとさらに闘志が湧いてしまう。
私が母から事実を聞かされて知ったのが今日だ。
1年などは待たない。
時効の成立などで逃がすこともしない。
逆恨みと思われても構わない。
私は姉の【親の愛独り占め】に対し、嫉妬に燃えた息子の一矢というもので報いてやる。