いつもみゃーちゃんを気に掛けていただき、
ありがとうございます。

みゃーちゃんは、本当に、すごーく頑張っています。
もう感動します。





みゃーちゃんは、
私にとって、
もはや、生き方を考えさせてくれる
師匠のような存在になりました。


これは恐らく、普通に触れてスキンシップのできる猫さんなら、
私はここまでは考えなかったと思います。

たくさんナデナデして愛を伝えて、
癒し癒されて幸せに過ごす。

しかし、みゃーちゃんとはそれが叶わないので、
いつも細かい視線や動作、鳴き声などを頼りに過ごしてきました。

こうなってもまだ、
みゃーちゃんに触ることはできないので、
(みゃーちゃんが望まないので)
声掛けとアイコンタクト、そして2台のカメラで見守りつつ過ごしています。

すると、
どうしても、私はあれこれと頭の中で考えてしまうのです。



みゃーちゃんほといえば、
生きることしか考えていません。
ものすごい生命力で、
毎日、毎時間、毎分、毎秒、
命の為の最善の選択をしています。



痛くて辛いだろうに。

一生懸命水を飲み、
スープを試しに口に含んでみる。
そして、
きっと痛くて、頭を振って変な音を立てながら耐える。

でも、食べないと生きられないから、
頑張るのですよね。



そんな姿をずっと見守っていて、
自分なら、(生きるのを)やめたくなると思っていました。


何だかんだ偉そうなことを言っていましたが、
私は結局のところ、生に対して弱虫なのです。


父と叔父が、生きる辛さに負けて自ら逃げ出すという姿を見て、
私もどうしてもの時は、そうしてもいいと、
どこかで思っていました。

あの時の衝撃はそれはそれは大きくて、それを正当化しなければ、いられなかったのかもしれませんが。。



ですから、
母が最期まで、人間の意思を越えて、動物としての本能に任せて生きる姿を見せてくれたのに、(こんなに辛いのなら、早く逝かせてあげたい)などと思っていました。


でも、
私が間違っていました。


野生の命は、生きられる可能性が1パーセントでもあるのなら、生きたいのだと。


人間も、大脳新皮質が巨大化してしまい複雑な感情が生じてしまいましたが、
その奥には、動物と同じ大脳辺縁系があり、
生きる基本のなる自律神経系や免疫系や内分泌系が基本となり生きているのに。


生きる為の命なんですよね。


本当はシンプル。


だから、みゃーちゃんは、
生きるために、本能で色々と頑張っている。


すごいです。
お水を飲んで、寝て、おトイレ行って。



体力が許せば布団に移動して寛ぐし、
動くのが無理そうなら、コタツで寝続ける。




みゃーちゃんは頑張っています。
本当にすごいです。



お母さんの死生感まで変えるほどに 
一生懸命生きています。



もちろんみゃーちゃんは、そんなことは考えてもいなし、普通に動物としての本能のままに過ごしているのでしょう。



ただお母さんが勝手に意味を付けて考えているだけなのです。



触れないから、勝手に色々と考えるしかないのも事実です。



ても結果として、お母さんにとっては大きな大きな気づきでした。


きっと、そんなこと当たり前だと思う方が殆どでしょう。
でも、お母さんは自分に対してはどこかで冷めていて、諦めている所がありました。
(精一杯生きているポーズはとっていましたが)



そこが、変わったのです。
だって、みゃーちゃんに申し訳ない。




人間を変えられるのは、
自分の生死に関わることが起きた時か、宗教かの二つしかない。
ということを聞いたことがありますが、
愛する者の生死に関わることでも変わるかもしれませんね。


思いっきり独り善がりな内容ですが、
みゃーちゃんは私にとっては、すこい師匠なのです。

食べなくなって14日を経過しても頑張っているみゃーちゃんに免じて、
お母さんの勝手な独り言を書きましたこと、
お許しください。🙇
思い込みの強いお母さんにお付き合いくださり
ありがとうございます。





お母さんでした