いつもみゃーちゃんを気にかけていただき、

ありがとうございます。

 

みゃーちゃんは、お布団で体を休めています。

 

 

 

お母さんは、

ちょいと仕事が落ち着いて、月曜日だけお休みできそうなのでブログを書いています。

(お父さんは、同窓会です。)

 

 


(コタツで頭を抱えて寝ていますえーん)

 

みゃーちゃんが、すごーーく頑張ってくれて、

それなのに人間は、情けなくて。

 

本当に動物に教えられることばかりの我が家です。

 

 

 

お父さんは割としっかり者で、

人間の死には沢山関わってきているので、

そういったことには冷静に対応できるタイプなのですが、

みゃーちゃんについては、少し違いみたいです。

 

 

「みゃーちゃんは、可憐すぎる」と

 

 

辛そうなみゃーちゃんを見ながら、本人も辛そうに言っています。

 

 

元々格闘家で力は強いお父さんなのですが、小さくて弱いものには弱いのです。

大きくて力の強い者に対しては、力で対応すれば良いので問題ないそうなのですが、

こんなに小さくて可愛くて、何の欲も打算もない存在は、困ると。

 

 

 

 

自分が、この存在を守る以外にないでしょ、と。

 

 


(カーテン裏に移動するところ)

 

 

そんなみゃーちゃんが、淡々と病気と闘っている。

生きることしか考えずに、ここにいる。

 

 

 

命には、すべからく限りがあると解っていても、

治って欲しい。 

病気では逝って欲しくないと、思ってしまいます。

それが欲だと解っていても、

強欲なのです。

 

 

 

 

 

 

 

お母さんは、今日も仕事でした。

その仕事の講座を受けてくださった方の中に、

凄く辛い状態から何とか立ち上がって前に進もうと

宮城から来てくださった方がいらっしゃいました。

 

数年前に宮城で行った講座も受けてくださっていて、

その間に、私なら耐えられないと思うような辛い経験をされて、

そこからの出発の為に更に知識を得たいということでした。

 

休み時間にそんなお話を伺って、

「生きるって、本当に大変だな」と

つくづく思いました。

 

 

一瞬、

猫の生死でこんなにアワアワしている私って?

と思ったのですが、

いやいや、それは違うと。

 

人の思いとか、痛みとか、辛さとか、

そういったものは比べることではなくて、

あの人の方が大変だから、私なんか大したことはないとか、

そんな風には考えなくていいのだと思いました。

 

 

今の我が家には、みゃーちゃんの存在が100%重要で、

何よりも大切で大好きで、

本当にどうしようもないぐらい重要な存在なのです。

 

だから、失いたくないし、

失いたくないし、失いたくない。

 

叶わないとは分っていても。

(往生際が悪いのは、お母さんだけです。)

 

 


(布団に潜るところ。28秒滝汗)

 

 

何でこんなに、大切なのかと考えてしまいます。

 

 

天使猫だからかな?

 

天使がいなくなってしまうのが、怖いのかな?

 

 

 

いやいや、

理由なんてないですね。

 

 

ただただ、可愛くて、大好きで。

 

 

存在自体が、もう、とにかく、言葉で表現できないというか、

 

ボキャブラリーが無さすぎる。

 

 

 

とにかく、

みゃーちゃんがいないと、我が家は困るのです。

大好きすぎて、一分でも一秒でも一緒にいたいのです。

 

 

我が家は変態だから、見ているだけでも良いのです。

幸せそうに寝ているみゃーちゃん。 

日向ぼっこしているみゃーちゃん。

爪研ぎして主張しているみゃーちゃん。

睨んでいるみゃーちゃん。

・・・・・しているみゃーちゃん。

・・・・・な、みゃーちゃん。

 

もう何でも良いです。

 

一緒にいたい。

 

見えなくても良いです。

 

お布団に潜っているみゃーちゃん。

 

そこで、みゃーちゃんが、気持ちよく寝ているというだけで、

 

それでも良いです。

 

だって、カワイイんですもの。

 

 

 



 (みゃーちゃんを支えてるもの達)

 

 

 

あと、どれぐらいなのかな。

 

 

とにかく、声に出したり、出さなかったりですが、

 

みゃーちゃんに、愛を伝えたいと思います。

 

 

 

お母さんでした