いつもみゃーちゃんを応援していただき、
ありがとうございますラブ


そして、前回は、お母さんや家族のことまで、
ありがとうございました滝汗


なんだか、疲れきって、
それでも色々と考えたり、
暗中模索中の心をもて余し、
色々と読みあさったり、YouTubeを見ていたらいたら
こんな言葉が頭の中に残りました。




『幸せへの距離は平等』




そんな言葉を聞きました。
(正確ではないかも)



内容はこんな感じだったと思います。


一人一人、持ってる才能や能力には確かに差があるし、
例えば、元々お金持ちに生まれたり、
貧乏に生まれたり、
はっきり言って差はある。


でも、才能があるから全ての人がそれを活かせるかというと、その方が難しいし、
お金持ちでも不幸な人はたくさんいる。


だけど、
持ってる物とか能力には関係なく、
幸せを感じることは誰にでもできる。



たとえぱ、一人のお金持ちのご婦人が、
星付きフレンチレストランでのディナーの際、
ボーイさんのサービスが未熟で、
楽しくお食事が出来なかった。
高いお金を払ったのにと、残念な気持ちになったり腹立たしく思うかもしれません。


また、あるオバチャン(私)が、
朝、納豆とネギとすりゴマを混ぜ混ぜして、ぽっかぽかの炊きたてご飯にのっけて食べたら、
最高に美味しくて幸せだぁー!
と感じられるかもしれません。
現に幸せでした。


そんな風に、幸せを感じることは、
条件には関係ない。

ようするに、

幸せへの距離は同じ。



そうですよね。
どこにいても、何をしていても、
本人が幸せだと思えば、幸せなんです。



分かっていたつもりでしたが、
ちょっと忘れていたかも。ガーンガーンガーン



これは、
自分への気づきになりました。




そして、
みゃーちゃんも。猫






私は、

ナデナデできて、人間と仲良くできる家猫が一番幸せで、
ナデナデもできず、人間が怖いみゃーちゃんは不幸だと、思っていました。

現に、同居している人間に恐怖を感じているというのは、やはりみゃーちゃんにとっては幸せではないでしょう。


でも、
それ以外の時は?


それはそれは、幸せそうなカワイイ顔で寝ています。

手足を伸ばして、
寝言を言いながらラブ


美味しいご飯を、好きな時に好きなだけ食べられて、
安全で暖かい家の中です。


みゃーちゃんはきっと、
それで充分なのでしょう。


人間と仲良くしなければいけない要素は何一つないニコ

人間が、自分を脅かさない限り、
みゃーちゃんは、満足しているのです。

もしも、体調が悪くなれば、
自力で治せなければ、
お外だったら、死ぬだけです。

でも、それまで、
ご飯がなくてひもじい思いをしたり、
雄猫や、たぬきや、ハクビシンや、
意地悪な人間に追い立てられることもなく、
必死に逃げる必要もない。


みゃーちゃんは、
きっと、
私が勝手に思っているよりも幸せかもしれません。


少なくとも、
あの寝顔の時は幸せでしょう。






だからと言って、
ナデナデを諦めた訳ではありません。
人間を怖くなくなった方が
更に幸せだということには変わりありませんから。


でも、
私自身があれこれ考え過ぎて、
勝手に心配したり、落ち込んだりし過ぎるのは
止めようと思いました。




まあ、
ぐちゃぐちゃとネガティブに考える癖は、
そう簡単には直らないと思いますが、
そうならないように、
気をつけようと
思えました。


ま、きっと、
いまは、
みゃーちゃんの体調が安定しているから、こんなことが言えるのだと思いますがニヤニヤ






みゃーちゃんは、

リビングが怖いみたいで、
匍匐前進か、ダッシュで、通過します。


歩いてきて、


はっ!!!

と、止まってから、
慌ててダッシュで戻ったりします。


目に見える物は何もいないのですがポーンポーン


でも、
まあ、
少しずつ動くようになってきました。



見えないものは退治できないけど、
我々のことは、
思い出してくれたみたいです。


私も、
自分の心のありかたをもっと見直して、
日々の何げないことにもっと感謝できるように心がけようと思います。




コタツの電気を入れたら、
入り浸りのみゃーちゃんチューチューチュー




お母さんでした