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アメリカ人と結婚して息子が生まれた帝王切開で産まれた息子は生後3日で発熱し、NICUがある総合病院に搬送。新生児に使うには強すぎる点滴をしたため後遺症の不安が残る。NICUで保育器の中の息子は鼻にはミルクを流す管、足には固定された点滴の針、身体には心音等を測る線がたくさん…たまらなかった私自身は帝王切開だったけど3日目に産婦人科を退院させてもらい、15cmくらいある傷口は自分で消毒毒、手当してた
息子は入院2日目の深夜、突然の無呼吸発作を起こし身体全体が紫色になったそうです。医者の対応のおかげでなんとか呼吸を再開してくれたけど、酸素の投与が追加され、退院ももう少し先に
無事に退院することができましたが、呼吸をしているか、いつも不安で私の睡眠時間はどんどん少なくなって…。
旦那の仕事のため沼津市に引越してしばらくして、今度は旦那が交通事故。旦那は自転車で車に跳ねられ、そのまま救急車で病院へ。全身アザだらけで死んでしまうのかと思った。通常、付き添いは禁止だけど、交通事故の場合24時間以内に急変することがあるから、言葉が通じずに対処が遅れたら困るということで私が付き添うことに…。息子が産まれて約半年後の出来事。
この頃から私の「不安」が異常になってきて、息子と旦那に何か起きたら困る。自分には死の恐怖が襲ってくる。
パニック障害の人は、人前が苦手な人が多いと思うけど、私は1人でいる時や誰も助けてくれる人がいないことが恐怖だった。
旦那は日本語がわからなくて救急車を呼ぶことができない。心臓発作が起きたら?呼吸ができなくなったら?そんな不安が頭から離れずパニック発作を起こすようになった(息子は当時2歳)。
心臓が痛くなるくらいの動悸、息苦しさ、過呼吸、手指の突っ張り、めまい、震え、寒気…。全てが同時に起こり「死ぬ」と思い、意識があるうちに救急車を呼んだ。
旦那も私も同じ救急車に
お世話になりました
救急車の中で色々測られたけど心拍数が異常過ぎたらしく、私には聞こえないように医者だけに伝えてた。身体には異常がなく点滴だけして帰宅。大丈夫だとわかっていても死の恐怖から発作が起きる。1週間くらいして、今度は実家のある富士宮の救急病院に運ばれた。救急車を呼ばなくても済むように、両親も姉夫婦も住む富士宮で暮らすことに。
引越しして不安が減ったことと、薬が処方されたことで発作は起きにくくなった。発作が起きても頓服飲んで耐えることができるように 薬ゼロまでに克服した。
でも飛行機でアメリカまで行く勇気はなかったなぁ。旦那もずっとアメリカに里帰りできず可哀想だった… 旦那はアメリカに帰りたかったと思う。私は車の運転ができて救急車が呼べる人…安心が欲しかった
離婚を選んだ理由の1つ
他にも色々 あるけどね…
パニックの発作は起きてないけど、数年前から息子の進学のことやらで、ストレスを感じることがあったため心療内科の薬を再開 簡単ではないけど、また薬ゼロにしてみせる