様々なニュースをお伝えする<News Angle>。今回は、日本を代表する写真家の篠山紀信さんが老衰のため亡くなった事が明らかになりました。このニュースをお伝え致します。

 

日本を代表する写真家の篠山紀信(本名:紀信=みちのぶ)さんが老衰の為4日(木)早朝に亡くなりました。83歳でした。株式会社 篠山紀信が5日(金)、小学館と連名で出した書面で伝えました。

 

 

株式会社篠山紀信は「写真家篠山紀信は、1月4日早朝、老衰の為永眠致しました。83歳でございました」と伝え、「長きに渡り篠山の写真を愛し、応援していただいた皆様、関係者の皆様に深く感謝申し上げます。なお葬儀は遺族の意向により、近親者にて執り行います。お別れの会については、現時点では未定となっています」としています。

 

小学館は「常に「時代」と併走し、作品を発表し続けてこられた篠山紀信先生の生前のご功績に対し、心からの敬意と共に謹んで深く哀悼の意を表します」とし、「弊社では「激写」を生んだ雑誌「GORO」「週刊ポスト」「Cancam」「和樂」を始め、あらゆるジャンルにおいて誰もの記憶に残る膨大な作品を生み出してくださいました。「シノヤマネット」においては、最先端のデジタル映像作品を、誰よりも早く発表し続けて下さいました。先生と共に昭和、平成、令和の「時代」を疾走させていただいたことに、心から感謝申し上げます」と記しています。

 

紀信さんは1940年(昭和15年)生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部在学中の1961年(昭和36年)に「日本広告写真家協会展公募部門」APA賞を受賞。広告会社・ライトパブリシティを経て、1968年(昭和43年)よりフリー写真家としてスタートを切りました。

 

1975年(昭和50年)に雑誌「GORO」の山口百恵さん特集で使い始めた「激写」は流行語に。1991年(平成3年)に発表した樋口可南子さんの写真集「Water Fruit 不測の事態」でヘアヌードを解禁、同年の宮沢りえさんの写真集「Santa Fe」は155万部のベストセラーになりました。その他、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻など時代を彩るスターたちを撮り続けました。

 

2002年(平成14年)より、デジタルカメラで撮影した静止画と映像を組み合わせる「digi+KISHIN」を展開。Webサイト「シノヤマネット」でも、映像作品、静止画、DVD作品など多数発表しています。2012年(平成24年)、熊本市現代美術館を皮切りに始まった「篠山紀信写真展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」は全国を巡回し、100万人以上を動員しました。2016年(平成28年)に東京・原美術館で「篠山紀信展 快楽の館」、2021年(令和3年)には東京都写真美術館で「新・晴れた日」を開催しました。

 

1966年(昭和41年)に東京国立近代博物館「現代写真の10人」展に史上最年少で参加。1976年(昭和51年)にはヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の代表作家に選ばれるなど、その表現は早くから評価を受ける一方で、1971年(昭和46年)から集英社「明星」の表紙を担当して以降、写真家として時代を牽引する存在となります。1970年(昭和45年)日本写真協会年度賞、1972年(昭和47年)芸術選奨文部大臣新人賞、1973年(昭和48年)講談社出版文化賞、1979年(昭和54年)毎日芸術賞、1998年(平成10年)国際写真フェスティバル金賞、2020年(令和2年)菊池寛賞など受賞歴多数。

 

妻は元歌手の南沙織さん、次男は俳優・タレントの篠山輝信さんです。

 

写真家 篠山紀信(本名:紀信=みちのぶ)さん

1月4日(木)早朝 老衰のため死去

享年83

 

という訳で、数多くの写真を世に送り出した写真家・篠山紀信さんが今月4日(木)早朝、老衰の為亡くなった事が明らかになりました。

 

雑誌「GORO」で展開し始めた「激写」という言葉は一躍流行語となり、1991年(平成3年)に発売した宮沢りえさんの写真集「Santa Fe」は155万部のベストセラーとなりました。

 

また2002年(平成14年)からはデジタルカメラで撮影した静止画と映像を組み合わせる「digi+KISHIN」を展開し、様々なメディア作品を世に送り出しました。

 

2000年代に入ると各地で展覧会を開いていました。

 

写真家として時代を牽引し続けてきた篠山紀信さん。

また一人昭和を代表する方がいなくなってしまいました。

篠山紀信さんのご冥福をお祈り申し上げます。