苦しみ | ココロハレルヤ

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日々ふと感じたこと、思ったこと、考えたことを心のままに書いてみたいと思います

苦しみとは何か


生きることは

苦しむことだ


仏教では

思い通りにいかないことが

なのだという




わたしは
苦しみを
感じたくなくて
味わいたくなくて
苦しさから
逃げてばかりだった

苦しみを
感じさせないように
いつの間にか
その感情
感覚を
断ち切ってしまっていた

それは
なぜだろう

苦しみの本質に
気付かなかったからだ

自分のことを
信じ切れなかったからだ

生みの苦しみ

というものがある

苦しみからも
かならず
何かが生まれる

だけど
もし
苦しみは
苦しみでしかなかったら
どうする?

苦しみでしかなくても

わたしの心に浮かんできた
大切な感情・感覚ではないか

喜びや
楽と同じではないか





生まれるときは
あんなに細い産道を通って
未知なる世界に
出てくるんだ

そして

生きてゆくと
様々な苦しみが待ち受ける

病気やけが

何事も
思う通りにはならなくて

家族の仕打ちに苦しんだり

自分の姿かたちに苦しんだり

自分のしてしまったことに苦しんだり







苦しみは
絶えずある


苦しみの本質とは

理想と現実のギャップ

であったり

気付きの前触れ

であったり






わたしはね

苦しくなかったの



このところ
ずっと






理想が
だって思ってたから

今は
理想が叶ってる形
って

思い通りにならない
って
何が起こるかわからない
ってことだよね
面白そうじゃん

なんてね




だけど
望む
ということを
許可したとき

とても
嬉しかったの
 
今まで
望むことを諦めていたんだ

どうせ望んでも
叶わないことの方が多いし

叶わないのって
悲しくて
悔しくて
苦しいことだ

それで
望むのをやめたんだ


悲しさや
悔しさや
苦しさを
味わいたくないばかりに

望む
ということでさえも
やめてしまうんだなぁ










苦しさは
それを
感じたくないと逃げれば逃げるほど
それに
焦点があたっているから
大きく育ってゆく

感じるものは感じればいいんだ

感じていれば
喜びも
消えてゆくように
苦しみも
消えてゆくのに


大きく育ってしまった苦しみは
味わう途中で
そのキツさに
音を上げてしまう


死にそうなくらいの苦しみを
味わったことがあるか

と聞かれたら

ありません

としか答えられない

死んだことがないから
わからない



からだは
稽古の激しさに
苦しみ
倒れそうになることもあるけれど

心は
穏やかだ











そんなとき
友人たちが

病気になったり
 
事故を起こし
今までにない災難に包まれる

という苦しみを

わたしの目の前に置いてくれた




わたしは
今まで

わたしじゃなくて良かったな

って
まるで
他人事のように
思ってたんだ


これが
苦しみから逃げている症状
なのだと
わかった


わたしは
友人の苦しみを
自分の苦しみとして
捉えてみた

苦しい
悲しい
つらいよ
寂しくて
虚しくて
なんでわたしが?

って
思わず
言いたくなる


わたしだからだ


わたしだからこそ
その苦しみを
生み出したのだ
そして
自分が
生み出したからこそ
受け入れることが出来る
寄り添うことが出来る

そして
わたしだから
そこから気付くことがある


苦しみが強くて
ままならないときは
ひとに頼る

その苦しさに
共に向き合ってくれるひとがいることで
苦しさは和らぐ

そういうひとが
多ければ多いほど
ひとりの苦しみは
小さく受け取りやすくなってゆく


わたしが幸せであるように
あなたが幸せであるように
そして
みんなが幸せであるように

わたしひとりが幸せになるよりも
あなたとふたりで幸せになれるほうが
より幸せで

ふたりで幸せになれるよりも
みんなで幸せになれるほうが
もっともっと幸せ

本当の幸せとは
わたしから始まり
あなたへと繋がり
せーの
みんなで一緒に大きく広がるものだ

だれも
ひとりぼっちには
なれないものだ

だれも
ひとりぼっちには
させないものだ

わたしは
わたしの幸せばかりに目を向けて
周りのひとたちの苦しみには目もくれず
感じることもせずにいたんだなぁ

そして
勝手にひとりぼっちになっていったんだ





生きることの果てに死がある
死があるからこそ輝く命

苦しさと共にあるのは
喜びだ

まるで
葉っぱの表と裏

ひらひらと
わたしの目の前を落ちてゆく



光と影
正と悪
喜(楽)と(辛)苦

おなじ一枚の葉っぱ

その
表と裏




わたしは
表ばかりを愛でるクセがあるんだなぁ

一枚の
葉っぱに変わりはない

そのものを愛するということは
その存在すべてを無かったことにしない
ひとつひとつを
認めることだ




苦しいわたしのことも愛してる
悲しんでるわたしのことも愛してる

そう思えたときに

オリンピックの閉会式で
「歓喜の歌」が流れた

それが聴こえてきて
胸が震え
気がつけば
とめどなく
涙が流れていた



わたしは
喜ぶために生まれてきた


不安や苦しみや悲しみが教えてくれた

どんな時でも
どんな中でも
喜びはある








苦しみの本質は
喜びを感じたいと願う心だ

わざわざ苦しみにいかなくとも
生きること自体が苦しいのだ

苦しみから逃げなくてもいいんだ
怖がらなくていい

ひとつずつ受け入れる
ひとつずつ愛する
と決めたら


ただただ
生きてゆくこと自体が
愛することなんだなぁ


なんだかラクになりました